No day but today

ミュージカル関連をディープかつマニアックに語りたいがために作ったブログです。普段はTwitterでわっしょいしてます→@musicalamnos

「イリュージョニスト」解釈的なこととか

 

後から振り返れる用の流れはだーーーーーーー!っと書いたんだけど、

解釈というか自分の理解のまとめは入れ込めきれなかったのでこちらに改めて。

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a-syamu.hatenablog.com

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大まかな構造としての考え

10年前 

ソフィ(公爵令嬢)とエドワード(ユダヤ人家具職人の息子)は近くに住んでおり恋仲だった

エドワードが「2人を消す」ことに失敗し、引き離される

その後、ソフィはなんやかんやあって皇太子レオポルドの婚約者に

エドワードはジーガに拾われ、共に旅をし、奇術師として技を身につけ腕を磨き、アイゼンハイムと名乗る

♪その腕の中へ でやっと気持ちが通じ合った2人は密会を重ねながら(見られてたけど)計画を立てる

計画のポイントは、

・生きている限り許されないのであれば「死んだ」ことにすればいい

・人々の間にすでに皇太子がソフィに冷たいという噂もある、実際に横暴な態度を取ることもある

・民衆を黙らせようとする、気が短く、皇帝の座を無理やり手に入れようとしている危険な男(まあこれは過剰関与だと思うけど、、)

→皇太子がソフィを殺したと、本人にも周囲にも思わせる。

たとえそれが「事実」でなくとも、人々がある程度信じ込み反乱があれば皇太子の野心を潰すには十分効果がある。

証拠は、すでに手に入れていた小さな宝石と、ソフィのロケット。

2種類の薬を使い、皇太子は意識を乱し、その時のことを「曖昧でわからなく」、ソフィは仮死に。

「殺していない」という確信もできなければ、状況証拠が揃えば追い詰められる可能性は高い。

 

加えて、

・ソフィの死亡前後、アイゼンハイムはウールとジーガが同じ場にいることでアリバイができる。

・結局皇太子が犯人であるという動きが出来ず、関係ない人間が犯人にされたということもあり、計画は第2展開へ。

ウール及び民衆を動かす。そのための「幽霊騒動」。

新たに見つけた場所を片付けに行く時、「もう隠れてはいられない、動き出さなくては」というようなセリフがあるので葬儀から少し時間が空いているはず。

・この第2段階の計画に際し、ジーガを巻き込まないようわざと遠ざけた。

 

仮死〜ラストまでに、

・近衛兵(皇室の問題だと言ってソフィの仮死体を回収)

・やってきた〜な幽霊役男女

・(幽霊騒動のサクラ)

あたりのアイゼンハイムの一座がある。

 

皇太子に関しては、野望を潰し、失脚させるくらいまでを目的としていて、自殺まで追い込もうという前提ではなかったのでは。(かといってそれを防ぐ気もない)

ウールの動き、そしてレオポルドの性格の結果があの結末。(+ルドルフの史実とのリンク)というところかなと。

あの場に紛れ込んでいたのは見届ける&確実に自分でロケットを回収したかったからだと思っている。

正直成河皇太子の芝居に引き込まれ&目を離せなすぎて、公演の途中までまったくアイゼンハイムの存在に気づかなかった。声も。成河イリュージョン。。

一度気づけば走り方もシルエットも声も明らかに海宝直人なんだけども。。欺かれるとはこういうことか…って身をもって体験したのはここでしたw

 

乱暴に言えば、そもそも大部分がアイゼンハイムの迫真の芝居でした〜という話で、

動揺も、悲痛な歌声も、打ちひしがれたのもあれが全部嘘でした〜というのもなんかずるいというか納得できないというのもあると思う。し、そうなると実は死んでいて、、という方にも考えられるかもしれないんだけど。

個人的には海宝くんのパンフのコメントですんなり、「ソフィは生きていたし、アイゼンハイムは芝居をしていた。」という事実で良いんじゃないかなと思いました。

ちょっと引用すると、

グレーなところに自分なりに白とか黒とかをつけて、時にはフィクションでも「これが正しいんだ」と思い込んで選択していく。この作品の登場人物たちは強い思いでもってその選択をしていきます。

アイゼンハイムも強い意志を持って自分の計画を進めているんですけれども、彼は普段の生活でも演じている部分が多いのだろうなと感じていて。

他もすごく面白い話をしているんだけど、アイゼンハイムは普段から「演じている」、強い思いで「正しいのだと思い込んで選択をする」。それなら、頭の奥では事実と目的を認識しながらも、心では一時的に「ソフィが本当に死んでしまったのだ、殺されてしまったのだ」と思い込んで本気で動揺し、感情を揺らすことは出来るだろうなと思うんだよね。そこに違和感はないなと。

自分さえも騙す。それは芝居の一つの手法でもあるわけで。

 

結果として皇太子が自殺まで追い込まれる、それもそこまで必要か?そんなことする必要あったか?皇太子の癇癪持ちな人格や野望は罪だったのか?

そう思う気持ちもあるし、同時にアイゼンハイムとソフィはそれを「正しい選択なんだ」と思い込むことを選択したんだなと思うと、そうか。ってなるんだよな。

 

あと、これはちょっと深く行き過ぎかもしれないけど、初日でも楽でも海宝くんが挨拶で口にしていた「なんどもなんども、壁にぶつかる度に、これがベストな判断だとみんなで信じてやってきた」という内容のことや、楽の成河さんの「いろんな意見があると思います。でも今(の情勢で)は特に、誰もが納得できる答えは多分存在しない。それならせめて自分たちがベストだと思える選択をしたかった」というような話にも繋がってくるんじゃないかと思う。

(挨拶の言葉は私が受け取ったなんとなくのニュアンスなので、、なんとなくで。)

 

ちなみにこれ書きながら自分で納得はしてるんだけど、パレードのことを思い出すと完全に、あああああ!?ってなってしまうので、イリュジョへの納得をパレードに向けても問題ないかと言うと答えはNOだと思います。

 

その他こまごま。。

メインの筋のための伏線と、作品としての伏線があるよね。

・作品の始まり(ジーガからウールへの大きな本の受け渡し、ウールが本を読み始めての♪真実 のメロディ)は、作品のラストと重なるようになっている

・幼い頃、引き離される直前にエドワードがソフィにプレゼントした「自分の写真入りのロケット」が全編を通して大事なアイテムに

・ソフィに自分たちを消してと頼まれたが、未熟だったエドワードは失敗し、引き離されてしまった

 →最終的に「消失イリュージョン」の成功で終わらせるのはこの回収

エドワードはそこから再会の日を信じて10年腕を磨き続けた

・時系列的に、ソフィと別れた後にジーガと出会い、共に旅をし、技を教えてもらってきた

(吸って吐いて、自分を落ち着かせる方法も、帽子からウサギを出すマジックも。ちなみにそれをジーガに出会ってから教わってるレベルなら、それ以前に姿を消す奇術など出来るはずがないと思うので、昔から多少そういうことに興味があって簡単なマジックなどはやれたのか、ソフィの口から「私たちを消して!」と出てきたのはただシンプルに出た願いで、その言葉が忘れられずに「姿を消せる力を身につけよう」という方向に向かったのかどっちだろう)

 

・別れから10年が経ち、ソフィの婚約、相手(の評判の悪さ)を知ったアイゼンハイムはジーガに頼んでウィーンへ

・ウィーンに来ることで、会える、会うと思ってはいたが「その日」が再会になることは予想外で、準備をする時間がなかった

・♪完璧なトリック の時点では具体的なプランはなく、ただ「輝く奇跡のような完璧なトリック」を君に捧げようというI wish,I wantソング

(なおソフィが変わらず自分のことを想っているはずであるという謎の確信だけはある)

 ・宮廷で皇太子の剣から小さな宝石を盗んだのは&エクスカリバー伝説の真似事をして皇太子をコケにしたのはある程度その場の思いつきではないか

・ウールと皇太子の関係性についての話で、アイゼンハイムが「今は警部でも次は警察長かもしれない」→結果ウールは警察長に

・Doubt、初見は普通に皇太子を疑ってるんだなと思うけど、2回目以降は一周回って、アイゼンハイムのことを歌ってるのか?ってくらいアイゼンハイムでも意味が通るようになってる。

特に、「いつの間にか彼の駒となって動いていた?!」みたいな台詞は、いやアイゼンハイムのな。。ってなる。

・本編ラストのウールの、取り残された立場の歌と言うよりは呟きのような「真実は?」からの、半カテコ状態のアイゼンハイムの、惑わしに惑わした張本人の「真実は?」の2段オチ(オチ?)にやられたし、「海宝直人の思いっきり片眉を上げたあの顔」で最後まで惑わすような、音符が見えるような「しんじ〜つは?」なのずるいなって思いました。

それぞれのキャラクターについて

アイゼンハイム

結構難のある奴ですが、とにかく持ち歌が良いな。。ソロもデュエットも。。

構造であったり、奇術師という仕事であったり、本心が掴みづらく、何を信じて良いのか分からない男でありながらも、どうにも惹かれてしまう魅力がありました。

というか初見は心を寄り添わせられるんだけど、2回目から何を信じて良いのか分からない、だな。

でも、ジーガ(めぐさんだからというこちらの心の加点?もありそうだけどw)とのやりとりで、子供の頃から10年間教わり、育ててもらった時間のかけがえのなさというか、この人と過ごした時間があることによる人間味が見えたし、「いつも感謝してきたよ、そう見えない時でもね。」の言い方でその根っこが見える気がした。

あともう一つ、これはこちらが信じたいものを見ているのかもしれないけど、「観客だって同じだ。」とか、幕切れの歌詞だとか、あとは最後のショーの前のジーガの「お客たちの安全は?」という歌詞。

そんなところから、観客は欺く相手ではあるけど必要な、なにか同じものを共有している存在として彼なりに想いを持っているように思えた。

見たい幻かも知れないけど、私は♪幕切れ に、改めて伝えるでもない無意識下の観客への愛情を感じたように思いました。

皇太子レオポルド

上演をするという決断になった場合、海宝くんがアイゼンハイムに動く可能性は高いだろうと思っていたけど、発表まで成河さんはまったく予想していなかった 。

と同時にこんな心強い人がいるだろうかと…!

どうしても、海宝くんがやる予定だったんだなと考えるけど、もしそうであったとしても役の作り方や伝わるものは全然違うものだったろうな。

成河皇太子はパンフにもある通り、癇癪持ちであるところや、自分の状況に対しての焦りやストレス、劣等感という部分が核となる人物かと。

それでいて、ソフィの亡霊に涙が浮かんでしまうような愛情もあり。

少なくともソフィ殺害の夜について、「酔っていた(→薬を盛られた)、記憶があいまい、自分は殺していない」という言葉は正しかったはずなのに、ソフィの死後に彼女の死を利用するような言動があったことによって誤解をされてしまったり。

個人的にはこの作品の中で皇太子は、真実を曲げていない人物、ただ言葉足らずや誤解される態度により必要以上に悪化していく印象で。

皇太子はソフィの殺害騒動の真相をどこまで分かっていたのだろうと思って色々考えたんだけど、

・あの日は酔っていた→彼女に薬を盛られた に変わる

・自殺前のやりとりで「道理が分かっているのは私だけか!」

・お忍びで見に行った時に、人々に対しては「その女優は彼女に似てさえいない!」と言いながらもその後ウールに対して「あいつとの愛の密会?を見せつけてさぞ楽しいだろうな!」的なブチギレをしている

あたりが気になっている。

お忍びで行ったあの日に、皇太子はソフィが死んでいなかったことが分かったんじゃないだろうか。。最後にはもう本当に「道理が分かっていた」のでは?

全ては解明できるrep.で主張してることは↑を前提としてみても違和感のない言葉ばかりに思えたし、だとしたら手札をすべて明かして否定してるのにウールにあの追い詰め方をされたらどうにもならなすぎて。。 

ソフィ

悪女だな!!笑 とにかくこっちが知りたいことを語らないソフィ←

10年間彼女が何をしてきたのか、なぜ皇太子と婚約しているのか、「これが私の人生」と言いつつもその場にいるのは何故なのかは分からないまま。

序盤でアイゼンハイムを拒む時も、その理由に「皇太子を愛しているから、情があるから」が存在しない。

これまた一筋縄ではいかない伯爵令嬢ですが、ちゃぴのキャスティングがまた絶妙だったなと。(そしてプリンセス言葉の似合いっぷりよ。「いたみいりますわ。」)

コンサートver.だったことで歌強集団に囲まれると歌唱力はちと弱いのが目立つというか、難曲に苦戦してる感は見えたものの、圧倒的立ち姿と芝居・キャラクターのしっくり感。

生前、ゴースト期(?)、そしてラストの素朴な衣装でのくったくのない微笑み、というすべてが1人の人間として成立するのはちゃぴだったからこそだなと思います。衣装もヘアもすごく似合っていて素敵だった〜!

ある意味、本公演だったらさらに活きそうキャストNo.1。

 

ジー

ありがとう、良い濱田めぐみです。

アイゼンハイムと世界を回る興行主、しか出てなかったからどんな感じか想像つかなかったけど、本当にひたすら、あなたが観たい濱田めぐみを集めました!みたいな感じで幸福値が高かったです。

強い!格好良い!お茶目!母性!この世界においては一番真っ当というか、パワフルだけど一座やアイゼンハイムに情が深く、観客のことも気にかけるまともな人、、だよね。。

歌唱力もだし魅せ方も場の空気の変え方も、めぐさんじゃなかったらこれキツいだろ…というところも多いし、場の主役として圧倒的な支配力を見せるところも多々あるし、とにかくめぐさんで良かった。

そしてアイゼンハイムを育ててくれてありがとう(違)

ウール

正直本当に心配しました栗さん。。。

観客とともに旅をするような存在でもあるし、警察として関与し、謎を追う存在でもある。

セリフ量も膨大だし、一度止まったらもう戻れないような文字数の詰まったソロ曲もあり、、大変だったあの回、ウールからの情報が崩れるとこうも完結出来なくなるものなのかというのがよく分かった。。

とにかくアイゼンハイムに振り回されるウール。

真実の解明と正義の追求を行ったはずが、すべて「彼の手駒となっていた」だけという結果になり、取り返しのつかない皇太子の死が残る。

一人真実を知るが、警察長である彼の周りにそれを知るものは残らない。

まさに「知らない方が良かったこと」。そして彼の誇りは奪い去られる。

うわあ、アイゼンハイム本当に残酷な奴だな…

でもわざわざ教えたのって、序盤でウールがアイゼンハイムに「あなたの技を教えてほしい」って言ったことへのアンサーとも言えるのかもしれない。

まあだとしても残酷なことには変わりないんだけど。。

 

5人のメインキャラクター、 

欺くアイゼンハイム

真実の皇太子

語らないソフィ(悪女)

主催者ジー

正義を信じるあまりにまどわされ真実から偽りへ、偽りによって真実を斬ったウール

という柱であったとすれば実にバランスが取れるのではないかと思う。

(このバランスが今回は皇太子が真実であったのではと考える1つだったり)

 

 

コンサートver.ではありながら、あーだこーだと考える楽しみのある作品でもありました。(感想量がコンサートじゃないよ…)

成河さんのメルマガを読んで、今回のver.をそのまま観ることはきっともうないのだろうなと思って(もちろんそれは良い意味で。生み出されたばかりのこの作品はここからどんどん育っていくわけで、むしろここから変わらないことなどあり得ない)、それならこのワールドプレミアの感想を出来る限り残しておきたいなと。

解釈は見当違いかもしれないけどね!

さて結局真実は…?

 

いつかまた、世界で大きく育ったこの作品に日本で再会できることを心から祈って。

出来れば今回のキャストがまた集結してくれますように。

(そしてCDが出ますように!!!)

 

長文お付き合いいただきありがとうございました。

 

公演期間のツイートたち。

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