No day but today

ミュージカル関連をディープかつマニアックに語りたいがために作ったブログです。普段はTwitterでわっしょいしてます→@musicalamnos

ノートルダムの鐘を語ってみるvol.3 個性真逆なWキャスト①

 

 

ゆるゆると語りながら第3弾。

カジモドを取り囲むプリンシパルを。

四季においてここまで対極なWキャストが揃ったことがあったでしょうか。

いや、(私の知る限りでは)ない!

今回はエスメラルダのお2人の記録をまとめます。 

 

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エスメラルダ

岡村美南さん

ピコ、ジェリロ、エルファバ、ポリー、アニタと主要な役はだいたい観劇済みの美南さん。

正確で安定した歌唱力には信頼を置いていました。

エスメラルダもきっと似合うだろうなぁと期待を持っていましたが、、裏切らない。むしろ越えてくる。

 

歌唱力に磨きがかかり、タンバリンや酒場のオラオラ系(?)も

God HelpやSomedayのバラード系もそれぞれしっかり聴かせてくれる。

世界の頂上で も転調でどんどん空間が広く大きくなっていく曲調の伸びやかさと美南さんの歌声の伸びやかさが合わさってすごく素敵!

歌唱に関しては抜群の安定感です。

 

初日明けてすぐから異様に完成度が高くて怖いほどでした。。

エスメの衣装は美南さんの長身が映えるね。 

美南エスメラルダは美しくしなやかで華がある。強くて慈悲の心があって気高い。

明るく健康的な美しさで人を惹きつける。肩とデコルテがとっても美しい。

歌声も美しく力強い。達観的で大人びてる。

彼女があんな目にあう理由なんて何1つないのに。

強い彼女が耐えられずに泣き崩れたり顔を歪める姿はなんて胸が痛くて、それでいて魅力的なんだろうか

 

彼女の優しさは聖母のようでカジモドへの優しさも母性を感じる。

美南エスメラルダはただジプシーに生まれたために疎まれる立場にあるけど、

物の考え方をしっかりと持ち、包み込むような優しさと慈悲を持って生きる強い女性。

その賢さや生き方がさらに彼女を美しく見せ、魅力を深めている。

強く生きているし1人でも生きていけそう。だけどやっぱり強いだけじゃない。死は怖い。

美南エスメ清水フィーバスのSomedayはそこに絶対的な正しさがあって、いつかその日は来る、正義が勝つ日が来るんだとそんなメッセージを感じる。

 

この気高さ、強さを見ると、早く美南さんのアイーダを観たいと思わずにはいられない。早く再演をー!

 

 宮田愛さん

妖艶なダンスで人々を魅了するけど本人はごくシンプルに物事を見ている地頭の良さそうな愛エスメ。

結構ハスキーボイスです。

まずタンバリンのリズムが素晴らしいまさに男たちが魅入られる踊り。

歌い方も良い意味で品がなくてジプシーっぽさが強い。こう来たか!

愛さんはダンスに色気がある。自然と目を惹きつける才能。

一体どこがこんな色っぽいのかなぁと思って見てた結果、腰の入れ方とタンバリンの激しい叩きつけ方に私はクラっとくるっぽい。 

ちょっとした脚上げのときのさらっと高く真っ直ぐ伸びる脚がたまらないです。

でもこの妖艶さはただ生まれ持った能力で、本人も「みんなも楽しんでくれるからお金をくれる」としか考えていなそう。

タンバリン後の「仕事だ、奴らを並ばせろ」でクロパンの肩に手を置いてさらっと色気出して軽く挑発するのがまたエスメラルダだなって。

 

達観しているというよりただシンプルに物事の本質を見ることができる賢さがあると思う。

彼女の優しさは対等で平等。だからカジモドへの接し方も姉、友人への愛情のように感じたかなぁ。

エスメは、フィーバスの僕と来てくれに対する「だめよ」も、カジモドの僕が守るよに対する「だめよ」もだいぶ似た色。

だから余計にカジモドを友人として対等に扱っている気がして、最後の「あなたは本当に素敵な友だちよ」につながるんだよなぁ。

ジプシー娘という生まれ上1人で生き抜く強さを持たざるをえなかった。

でも本当は誰かといたかった、誰かに頼りたかったのが分かる。

奇跡求めてのラストでフィーバスの腕をぎゅっと掴んでるのがなんかこうとてもしっくり来るのよね。

クロパンの仲間を見捨てないって言葉への感謝も本気だと思う。

奇跡求めてからいつかの流れの芝居は、強気な仮面がはがれて素の華奢で年相応の弱さが見える女性がリアルで、痛々しくて。

怯えや悲鳴がとてもリアルで、力に抗えない若い女の子なんだって思い知らされてとても辛い。

エスメが「少しだけ待って」っていうのも何故だかはっきりと伝わるし、佐久間フィーバスの「そうするんだ」までの間も素晴らしいし、「私が旅立つときに」に対しての反応もそれを制止するエスメもトータルで見事。

エスメ佐久間フィーバスはただただそこに2人の男女がいて必死に互いを抱きしめて希望を未来に託す感じなんだよね。

一度しっかりフィーバスの胸に抱きとめられるのに脱力して崩れ落ち、手をすり抜けてしまうのがまた辛い。

 

エスメの男を惑わす力は別に意図したものではなくて元々備わっているもの。「どうしてあたしなの⁉︎」のセリフが辛い。

そんなつもりないのに勝手に惚れられて命まで奪われることになるなんて悲劇でしかない。

みんなまるで本能で引き寄せられるように近づいていく。

自分でもなぜだか分からず理由を知りたいけど、もう衝動が強すぎてどうにもできない。。そんな感じ。

それまで聖職者として揺るがず生きてきたフロローが初めて理性を失うほどに心奪われるのは愛エスメラルダの方が説得力があるように思う。

魔女と言わしめるほどの妖しい魅力がある。

 

エスメのお二人は表現手段と芝居の持ち味が真逆だなと思います。

美南エスメラルダ…歌踊り容姿→太陽。芝居→月。

強みは歌をはじめとした声、立ち姿から溢れる強い意志。

エスメラルダ…歌踊り容姿→月。芝居→太陽。

強みは生き生きとしたダンス、そしてリアルな芝居。

 

まさに甲乙つけがたく、しばらくどちらかを観ていないと恋しくなるこの辛さ!素晴らしいWキャスト。

ここまで色が違うと組み合わせ次第で全く違う印象になってくるので嬉しい悲鳴でした。

今後エスメラルダも増えていくでしょうけど、どちらかの真似ではない新たな方向性を見せてくれたら良いなぁと思います。

個人的には3枠絢香さんのエスメデビューを期待していたり。

最終オーデにも残っていたし、開幕から携わってきたキャストだから世界観の理解はばっちりだし、きっと素敵なエスメを作ってくれるんだと思うんだけどな!

同じ理由で鈴本くんのカジモドデビューも待っております。

 

東京公演終わるまでには残りのプリンシパルも書いておきたい。。けど間に合うかなぁ。

 

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本当はカジモド3人について書きたかったんですが、

あまりに量が膨大なのと、残り2人はまだ出演中で日々変化しているのと、

何より私が海宝くんのファンなのでだいぶ偏ってしまう。

 

ということでTwitterで書き散らしていたことをまとめる意味で

海宝カジに絞ってまとめておきたいと思います。

 

 

東京公演最終出演は3月5日でしたが、

私が最後に海宝カジモドを観られたのは1月半ば。

きっとそのあとも相当進化していたんだろうなぁ。。

その辺りをご理解の上お読みください笑 

 

 

海宝カジモドの最大の特徴、そして私が1番好きなのが、

役者海宝直人⇄カジモドの徹底的な切り離し方です。

達郎カジ、あっきーカジは途中からだったり終始だったりするけど、

本人の存在がカジモドと混じり合う。(当然だけど素が出るって意味ではなくてね)

 

ノートル初見直後、自分が呟いた内容は今見てもこれに集約されるなと思う。

彼が「カジモドを演じている」時間はそこにカジモドしか存在していなかった。

一瞬たりとも海宝直人を認識するときはなかった。役者としてなんと素晴らしいことか。

 

海宝直人からカジモドへの入れ替わりは、あまりに鮮やかかつ劇的すぎて、

それこそ何か魔術を使われたようにと呆然としてしまう。

あの舞台上での俳優から役への移行という演出が最大限に活かされていると思う。

特にカジモドから俳優へ戻ったとき、

俳優の姿に戻った海宝くんは異様なまでに透明感があって清らかで、、ぞっとするほど美しい。 

あの透明感を出せるのは天性の才能だと思う。顔立ちとかを超えて、俳優としてとても格好良い。 

 

振り向いた男の美しさに目を奪われた後は、語りに心を奪われる。

海宝くんの語りはまるで別人。そこにいたカジモドがどこにもいない。

「海宝直人」と「カジモド」はすっぱり切り離されていて、カジモドが彼の体を借りてそこに存在していただけで、

最後の語りの時にはもうカジモドはいないんだよね。

でもカジモドを演じきった「海宝直人」は確かに始まる前とは何かが違って清らかで、

彼が語る”カジモドのその後”は淡々としながらもどこか心が通っているような、そんな感じがする。 

本人もインタビューの中で、このラストの語りを「努めて淡々と話すようにしていた。」

「小説を読んでいるような感覚で聴いていただきたい」と話していて、

本人も相当意識して組み立てた部分なんだろうなと思う。

ちなみにインタビュー掲載記事はこれ。↓

allabout.co.jp

 

あとはやっぱりカジモドの障がいを徹底して演じているところが、この差を生み出す大きな要因だと思う。

口と顔の歪み、耳の不自由さ、話すときの不自由さ、背骨の歪み、

終始崩れたり乱れることがなく、徹底している。

途中からは口の歪みの徹底もだけど、左目ももうほぼずっと開いていなくて、、

口元だけじゃなく目元にもカジモドを感じる。

肉体的なハンデが凄すぎるのに歌唱はどんどん安定していくのよね。。

たぶん海宝くんにとってカジモドを演じている以上、これらがキープされることは当然なんだろう。

 

 

後は少しトピック的に。

 

■ フロローとの関係性

3人のカジモドの中で1番フロローと親子らしさのないカジモド。

どちらかというと恐れ、緊張感を強く感じる。

でも、トプシーターヴィー後にフロローに抱きつこうとするシーン。

海宝カジはかなりの勢いで抱きつこうとするから、引かれた時にビターンと倒れちゃう。

他のシーンではあれだけ愛情関係は薄く緊迫感すら感じるのに、

酷い目にあってぼろぼろになったときに頼って抱きつこうとする相手は

フロローしかいないんだということが浮き彫りになる。

初めは海宝カジとフロローはあまり愛情関係ないのに、あそこはやけにカジから行くなあと思ったけど、

結局カジモドには頼れる人、守ってくれる人はフロローしかいないんだよね。

その人に拒まれて相当ショック受けるから、フィーバスに対しても怒りじゃなくて、

今の自分に構うなって拒否の姿勢を感じる。

個人的には達郎カジよりも海宝カジの方があのシーンの孤独感は刺さる。

達郎カジは普段の信頼(?)がある分修復できそうだけど、

海宝カジは一生あのすり抜けた感覚を忘れられずに傷ついていそうで。

 

投げ落とす前にフロローを抱きかかえたとき、カジモドはすごく悲しそうな顔をしていた。

でも「いや、君はその気だ。」の囁きを聞いてフロローに手をかけて持ち上げたとき、

初めて見るような恐ろしい顔になっていた。

カジモドの顔はあの瞬間、本当の意味で醜く恐ろしい怪物の顔だった。。

「僕が愛した人は2人とも横たわっている」この嘆きのセリフが辛すぎて。

エスメラルダはもちろんだけど、フロローだってカジモドには唯一の関わりのある人間で、

良いことばかりじゃなかったにせよそこには長い付き合いがあって確実に情はあったはずだと思うんだ。

フロローを殺したことでカジモドは文字通りすべてを失ってしまった。

 

エスメラルダとの関係性 

美南エスメラルダだと同じように弱き者への愛情、母親の無償の愛のように感じるけど、

エスメラルダは姉、友人への愛情のように感じる。

だから前者はフロローにも与えられなかった基本的な愛情を得た喜び、

後者は対等に向かい合ってくれる友を得た喜びを強く感じた。

 

海宝カジモドには男を感じない。

カジモドになった瞬間からエスメラルダを見送る最後の瞬間まであくまでカジモドを崩さない彼の愛は人間愛だと思う。

海宝カジモドがエスメラルダにはしゃいで柵に登ってみせたりして喜ぶ姿は、

まるで母親の気を引いて笑いかけてもらってすごく嬉しそうにしている子どものよう。

フロローには基本的な愛情さえ与えられずに育ったから、

自分に優しくしてくれる、それだけで大好きで天使のように思ったんだろう。

 

タンバリンのリズムで下手にいる時とか大聖堂で上にいる時とか、

エスメラルダに釘付けになっている姿がとても可愛い。。

もう目が引き寄せられちゃうんだなって分かる前のめりな感じ。

世界の頂上でを歌い始めるエスメラルダの横で嬉しそうに手すりに乗って

柱とか尖ってるところを指先でとんとんしてる海宝カジモドすっごい好き。

そして♪ふたりで、、いる をあんなにたどたどしく歌っておいて

ラスト1フレーズを爆音で歌い上げるところも大好き。 

 

奇跡求めてでの歌唱も自分に優しくしてくれた好きな人が、他の人間に取られてしまう、

もう自分のことは見てもくれないんじゃないかという悲しみ、絶望。 って印象を受ける。

エスメラルダについていくってきっぱり言うの、カジモドには言えないことなんだよね。

彼にはもう一生ノートルダム大聖堂を出る選択肢はない。醜いから。

たとえどこかに逃れても受け入れられることがないと分かってしまったから。

エスメラルダと一緒に行っても彼女を守れないと分かっているから。

エスメラルダが一緒に来てくれないなら、自分がついて行くという選択ができるフィーバスがどれほど羨ましかったことか。

その選択肢すらカジモドには与えられない。

 

海宝カジモドはエスメラルダに素敵な友だちよって言われて噛みしめるように「友だちだ。」って返す。

でもその直後に彼女は息絶えて、カジモドは初めての人間の友だちを失ってしまう。 

 

ガーゴイルとの関係性 

フロローとも親子ではなく、愛に飢えてる。 

だから海宝カジモドにはガーゴイルたちは本当に大切で貴重な大好きな友達。

特に万寿夫フロローだとドライというか厳しめで、

親子的な愛情がなさそうに見えるから余計にガーゴイルたちと仲良く見える。

♪天国の光のときのやりとりとかもすごく微笑ましくて、

その分、Made of Stoneでガーゴイルたちを遠ざけてしまうカジモドとその拒絶にショックを受けるガーゴイルの溝が辛かった。。

絶望故にもうどうしようもできずに見守ってくれるガーゴイルを突き放し一人になった姿が孤独でとても寂しそうだった。

とある回のMade of Stoneは「己の容姿の醜さへの絶望」をすごく強く感じた。 その前の奇跡求めてからの流れも含めて。

 

それにしても短期間でここまで完璧にMade of Stoneを歌いこなせるようになるなんて。。

しかも純粋な歌唱の安定感、完成度をここまで上げながらも、心の通った芝居としての歌を歌えているって普通じゃない。

ああして完全にカジモドを生きながらも歌はどこか冷静を保ち続けている。素晴らしい。

 

■ カジモドと大聖堂の関係性 

陽ざしの中へ に入る前のセリフ、「僕のサンクチュアリー」

自分を縛る牢獄のような暗い響きを感じる。 

憧れとともに強い恐怖もある外の世界。

なんども想像して1日だけで良い、陽ざしの中で川沿いを散歩したいと夢見てたカジモド。

でも海宝カジはそれは無理なんだって思いながらの憧れだったと思うんだよな。

海宝カジは割と陰系なので「ぼくはもう…行けないのか…」の絶望感が非常に高くて好き。

いつかと思ってずっとそれを夢見ていたのに唯一の望みが絶たれてしまうショックが強くて。

だから外に足を踏み出すきっかけになるんだよね。

 

一方でエスメラルダ救出のときの、「サンクチュアリー!聖域だ!」

海宝カジモドの叫びは、この場所、カジモドの生きるこの場所は聖域なのだと思い知らされて踏み込めない。

毎回鳥肌が立つ。。 いったいどこからあの声が出ているんだ。。

あの叫びを聞いて、カジモドの聖域は破れないよ。

 「聖域だー!」の「だー!」の伸ばすときとか叫びの中に悲鳴みたいなの入るよね。。

そしてそのタイミングで左右の石像がパッとライトアップされるのもまた憎い演出。。

 

 

あの癖のない素直な歌声、圧巻の声量、役作りの方向性、

本当に大好きなカジモドでした。

それまで、「爽やかでルックスも良く実力のある王子様」だった海宝くん、

この役に出会って俳優としての実力と魅力が目に見えて上がったと思う。

こんな役も出来るんじゃないか、この役を観たい!そう思う幅がグッと広がりました。

 

マリウスがあるから京都は難しいだろうけど、

横浜公演にはきっと帰って来てくれますように!

 

「身体が、筋肉が許す限り、カジモドという役は演じ続けたい」と海宝くんの口から聞いた言葉を、

ソロライブで歌ってくれた♪Someday を大切に心に残して、

また劇場で海宝カジモドに出会える日を楽しみにしています。

 

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ついにノートルを語り始めました。

 

近年稀に見るどハマり作品。

役者もあるけど、それ以前にまず作品の完成度が素晴らしい。

こんなにも美しく緻密に組み立てられた作品久しぶりよ。

演劇的な要素も強いけど、確実にミュージカルの魅力もあり。

これぞ舞台の醍醐味…!と思わせる演出も散りばめられた大好きな作品です。

 

ということで第1弾は演出について語ってみようの回。

 

①開演前から客席の空気が違う

ロビーから客席に1歩踏み入れた瞬間、そこに流れる空気が違うのを感じる。

静けさと厳かな空気。まるでノートルダム大聖堂の中に足を踏み入れたような感覚。

さらに足を進めて舞台を見れば、そこには美しいステンドグラスの薔薇窓と左上から柔らかに差し込む陽ざし(照明)があります。

特に1ベルが鳴ってから開演までの時間、観客は息を殺してその時を待っている。

あの期待と緊張に満ちた静寂は、今まで他の舞台であまり感じたことのないものです。

あの場の空気が観客を静めるのか、それともこの作品を観に来る観客が本能的にその静けさを求めるのかは分からないけど。

もちろん、この静けさはその日のお客さん次第なので必ず毎回あるわけじゃないけど。

独特で素敵な空気なので公演が続いてもあの静けさが失われないと良いな。。

 

②鐘の音、コーラス、なんて美しい幕開き

上で書いた静寂のあと、(無粋なアナウンスもなく!)客電が落ちて鐘の音が鳴り響き。

静かなコーラスとともにフードを被ったマント姿の人々が舞台上に現れる。

人々が揃ったかと思うと、全員が一気にフードを外し、この作品のテーマのように繰り返される迫力ある♪AhAhAh〜のメロディーを紡ぐのです。

個人的には第1鳥肌ポイント。

この場にはクロパン、フロロー、フィーバス、エスメラルダもマントの人々として存在しています。

ちなみにフィーバスは下手階段途中で♪時には強くとどろき、

エスメラルダは上手前方で♪この町の魂を歌う、というソロあり。

静かなコーラスから少し恐ろしさすら感じるような迫力あるクレッシェンド、そしてまたすーっと落ち着いたメロディーに戻って、フロローの過去を描き始める。

この幕開きが本当に美しくて、それでいてぐっと世界に引き込まれるのです。

 

③観客の目の前で俳優はカジモドへと変化する

やっぱりこの作品で1番興奮する演出は、この役者からカジモド、そして役者へ戻る過程が舞台上で行われることじゃないかと!

カジモド役者の登場は上手舞台奥から。

他のアンサンブル同様グレーのマントをまとった俳優がセンターでマントをぱさっと脱ぎ捨て、奥から舞台前方へと進みでます。

(舞台奥なので見えない席も結構あるかと思う)

♪教えて欲しいことがある人間と怪物

と歌うクロパンのソロの間、少し周りを見渡しながら進みでる俳優。

クロパンの歌詞を受け継ぎ、♪どこに違いがあるのだろう と歌いながら顔に墨を施し体を歪め重しを背に負う。

海宝カジモドの♪あるのだろ「う」で口の歪みとともに声色も変わっていくところ、鳥肌ものです。

普通の青年からカジモドになるまでの変化は本当に短い時間。

ちょっと目をそらしていたらすぐに終わってしまうのでここはよそ見しない方が良い!笑

 

この墨を使った演出は物語のラストと対応してさらに素晴らしいことに…

エスメラルダの亡骸を大聖堂の外へ運び出したカジモド。

1人の女性(3枠)が近づき、カジモドはエスメラルダを守るように来ないでくれと手で制します。

すると女性は顔に墨を施し、身体を不自然に歪めるのです。まるでカジモドのように。

そして他のアンサンブルも続々と身体を歪めるなか、フロリカのソプラノが下手バルコニーからカジモドへと優しく響き、エスメラルダは静かにカジモドの元を離れて舞台奥へと消えていく。

最後にフロリカが歌い終わって墨を塗り終わると、カジモドだった俳優はまっすぐに背を伸ばして立ち上がり、客席の方へ振り向く。

墨を落としたその顔はもうすでに俳優のものに戻っているのです。

物語の最後の大コーラスでは 、顔に墨を施した人々と、唯一清らかな顔をした”カジモドを演じた”俳優がアンサンブルプリンシパル揃って横1列に並ぶ。

あの演出を目の当たりにしたときの胸の高鳴りを、感動をどう表現していいのか分からないのが本当にもどかしい。

 

④民衆でありガーゴイルでありセットであり語り部であるアンサンブル

この作品においてのアンサンブルの立ち位置は他の作品とは一線を画すと私は思っています。

普段アンサンブル判別が全然できない私が比較的すぐに覚えられたのもそのせいかと。

衣装も基本のものにベストや帽子が加わったりする程度、そしてマント。

このシンプルな衣装だけだけど、アンサンブルはただ”そこにいる人”を演じるのではなく、演じることでその”場所”を鮮明に描いているんだなと感じる。

町も聖堂も、そこがその場所だと分かるのはアンサンブルの存在によるものが大きい。

例えば♪ノートルダムの鐘1曲にしても、初めに出てくる俳優としての存在、語り部、教会に集う民衆、物理的な壁、ジェアンやフロリカという登場人物、町の人、石像、、これだけの役割を果たしている。

語り部とは言ってもとことん客観的なものではなくて、役としての興奮を残したまま観客に向かって叫ぶように語ってくることも多い。

これが舞台の世界と観客の間の溝を取り去りながらも、芝居をどこか客観視させてくれるポイントかなと思います。

あとはカジモドにとっての友人、ずっと見守ってくれたガーゴイルと、カジモドを傷つける民衆を同じ人たちがマント一つで演じ分けるというのも大きいポイントかなと。

それが存分に活かされるのが♪石になろう。

カジモドがはねのけたガーゴイルたちはマントを脱ぎ捨て、町の人の姿になって去っていく。

あとに残されたのは無機質なマント。石に戻ったガーゴイルたち。

そしてまたカジモドが彼らに協力を呼びかけたとき、マントをぐっとカジモドに突き出し、強く頷いてガーゴイルに戻る。

視覚的にもとても見事な演出だと思う。

 

⑤あくまでこれは「物語」である

これに関してはここまで書いてきたこととかぶる部分もあるんですが、、

この作品はあくまで俳優たちが舞台上で描き出す「カジモドの物語」。

人間と怪物、その違いはどこにあるのか。

あなたの心に何かが響いていますように。

そんな言葉をダイレクトに観客に伝え、投げかけてくるけど、

この作品から何を受け取り何を考えるのかは観客に委ねられていて、何も押し付けてこない、この感じが私にはとても好ましい。 

美しく哀しい物語。重いけど、劇場をあとにする気持ちは決してモヤモヤしない。

アンサンブルが語り部を担う演出も、舞台上で俳優とカジモドの変化が行われる演出も、この「物語」を際立たせるためだと思う。

カジモドを演じた俳優が、エスメラルダを失った後のカジモドのことを客観的に観客に語るところ、そしてまとっていた衣装と重しをクロパン役の俳優に返して、互いに深く一礼するところもまた。

美しい。この作品は美しい。(語彙力のなさ…)

私はこの作品、今まで1度も泣いたことがなくて。いつも静かに深い感動だけが残る。

きっと私にはこの5番目のバランスがベストの心地良さなんだろうと思ってます。

 

 

 

と、いうことで1回目演出をメインに語ってみました。

プリンシパルは全員制覇してるので今度は俳優さんによる芝居や役の違いを書きたい。

よければまたお付き合いください!

 

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