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ノートルダムの鐘を語ってみるvol.1最高の演出

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ついにノートルを語り始めました。

 

近年稀に見るどハマり作品。

役者もあるけど、それ以前にまず作品の完成度が素晴らしい。

こんなにも美しく緻密に組み立てられた作品久しぶりよ。

演劇的な要素も強いけど、確実にミュージカルの魅力もあり。

これぞ舞台の醍醐味…!と思わせる演出も散りばめられた大好きな作品です。

 

ということで第1弾は演出について語ってみようの回。

 

①開演前から客席の空気が違う

ロビーから客席に1歩踏み入れた瞬間、そこに流れる空気が違うのを感じる。

静けさと厳かな空気。まるでノートルダム大聖堂の中に足を踏み入れたような感覚。

さらに足を進めて舞台を見れば、そこには美しいステンドグラスの薔薇窓と左上から柔らかに差し込む陽ざし(照明)があります。

特に1ベルが鳴ってから開演までの時間、観客は息を殺してその時を待っている。

あの期待と緊張に満ちた静寂は、今まで他の舞台であまり感じたことのないものです。

あの場の空気が観客を静めるのか、それともこの作品を観に来る観客が本能的にその静けさを求めるのかは分からないけど。

もちろん、この静けさはその日のお客さん次第なので必ず毎回あるわけじゃないけど。

独特で素敵な空気なので公演が続いてもあの静けさが失われないと良いな。。

 

②鐘の音、コーラス、なんて美しい幕開き

上で書いた静寂のあと、(無粋なアナウンスもなく!)客電が落ちて鐘の音が鳴り響き。

静かなコーラスとともにフードを被ったマント姿の人々が舞台上に現れる。

人々が揃ったかと思うと、全員が一気にフードを外し、この作品のテーマのように繰り返される迫力ある♪AhAhAh〜のメロディーを紡ぐのです。

個人的には第1鳥肌ポイント。

この場にはクロパン、フロロー、フィーバス、エスメラルダもマントの人々として存在しています。

ちなみにフィーバスは下手階段途中で♪時には強くとどろき、

エスメラルダは上手前方で♪この町の魂を歌う、というソロあり。

静かなコーラスから少し恐ろしさすら感じるような迫力あるクレッシェンド、そしてまたすーっと落ち着いたメロディーに戻って、フロローの過去を描き始める。

この幕開きが本当に美しくて、それでいてぐっと世界に引き込まれるのです。

 

③観客の目の前で俳優はカジモドへと変化する

やっぱりこの作品で1番興奮する演出は、この役者からカジモド、そして役者へ戻る過程が舞台上で行われることじゃないかと!

カジモド役者の登場は上手舞台奥から。

他のアンサンブル同様グレーのマントをまとった俳優がセンターでマントをぱさっと脱ぎ捨て、奥から舞台前方へと進みでます。

(舞台奥なので見えない席も結構あるかと思う)

♪教えて欲しいことがある人間と怪物

と歌うクロパンのソロの間、少し周りを見渡しながら進みでる俳優。

クロパンの歌詞を受け継ぎ、♪どこに違いがあるのだろう と歌いながら顔に墨を施し体を歪め重しを背に負う。

海宝カジモドの♪あるのだろ「う」で口の歪みとともに声色も変わっていくところ、鳥肌ものです。

普通の青年からカジモドになるまでの変化は本当に短い時間。

ちょっと目をそらしていたらすぐに終わってしまうのでここはよそ見しない方が良い!笑

 

この墨を使った演出は物語のラストと対応してさらに素晴らしいことに…

エスメラルダの亡骸を大聖堂の外へ運び出したカジモド。

1人の女性(3枠)が近づき、カジモドはエスメラルダを守るように来ないでくれと手で制します。

すると女性は顔に墨を施し、身体を不自然に歪めるのです。まるでカジモドのように。

そして他のアンサンブルも続々と身体を歪めるなか、フロリカのソプラノが下手バルコニーからカジモドへと優しく響き、エスメラルダは静かにカジモドの元を離れて舞台奥へと消えていく。

最後にフロリカが歌い終わって墨を塗り終わると、カジモドだった俳優はまっすぐに背を伸ばして立ち上がり、客席の方へ振り向く。

墨を落としたその顔はもうすでに俳優のものに戻っているのです。

物語の最後の大コーラスでは 、顔に墨を施した人々と、唯一清らかな顔をした”カジモドを演じた”俳優がアンサンブルプリンシパル揃って横1列に並ぶ。

あの演出を目の当たりにしたときの胸の高鳴りを、感動をどう表現していいのか分からないのが本当にもどかしい。

 

④民衆でありガーゴイルでありセットであり語り部であるアンサンブル

この作品においてのアンサンブルの立ち位置は他の作品とは一線を画すと私は思っています。

普段アンサンブル判別が全然できない私が比較的すぐに覚えられたのもそのせいかと。

衣装も基本のものにベストや帽子が加わったりする程度、そしてマント。

このシンプルな衣装だけだけど、アンサンブルはただ”そこにいる人”を演じるのではなく、演じることでその”場所”を鮮明に描いているんだなと感じる。

町も聖堂も、そこがその場所だと分かるのはアンサンブルの存在によるものが大きい。

例えば♪ノートルダムの鐘1曲にしても、初めに出てくる俳優としての存在、語り部、教会に集う民衆、物理的な壁、ジェアンやフロリカという登場人物、町の人、石像、、これだけの役割を果たしている。

語り部とは言ってもとことん客観的なものではなくて、役としての興奮を残したまま観客に向かって叫ぶように語ってくることも多い。

これが舞台の世界と観客の間の溝を取り去りながらも、芝居をどこか客観視させてくれるポイントかなと思います。

あとはカジモドにとっての友人、ずっと見守ってくれたガーゴイルと、カジモドを傷つける民衆を同じ人たちがマント一つで演じ分けるというのも大きいポイントかなと。

それが存分に活かされるのが♪石になろう。

カジモドがはねのけたガーゴイルたちはマントを脱ぎ捨て、町の人の姿になって去っていく。

あとに残されたのは無機質なマント。石に戻ったガーゴイルたち。

そしてまたカジモドが彼らに協力を呼びかけたとき、マントをぐっとカジモドに突き出し、強く頷いてガーゴイルに戻る。

視覚的にもとても見事な演出だと思う。

 

⑤あくまでこれは「物語」である

これに関してはここまで書いてきたこととかぶる部分もあるんですが、、

この作品はあくまで俳優たちが舞台上で描き出す「カジモドの物語」。

人間と怪物、その違いはどこにあるのか。

あなたの心に何かが響いていますように。

そんな言葉をダイレクトに観客に伝え、投げかけてくるけど、

この作品から何を受け取り何を考えるのかは観客に委ねられていて、何も押し付けてこない、この感じが私にはとても好ましい。 

美しく哀しい物語。重いけど、劇場をあとにする気持ちは決してモヤモヤしない。

アンサンブルが語り部を担う演出も、舞台上で俳優とカジモドの変化が行われる演出も、この「物語」を際立たせるためだと思う。

カジモドを演じた俳優が、エスメラルダを失った後のカジモドのことを客観的に観客に語るところ、そしてまとっていた衣装と重しをクロパン役の俳優に返して、互いに深く一礼するところもまた。

美しい。この作品は美しい。(語彙力のなさ…)

私はこの作品、今まで1度も泣いたことがなくて。いつも静かに深い感動だけが残る。

きっと私にはこの5番目のバランスがベストの心地良さなんだろうと思ってます。

 

 

 

と、いうことで1回目演出をメインに語ってみました。

プリンシパルは全員制覇してるので今度は俳優さんによる芝居や役の違いを書きたい。

よければまたお付き合いください!

 

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