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ノートルダムの鐘を語ってみるvol.2 海宝カジモド備忘録

 

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本当はカジモド3人について書きたかったんですが、

あまりに量が膨大なのと、残り2人はまだ出演中で日々変化しているのと、

何より私が海宝くんのファンなのでだいぶ偏ってしまう。

 

ということでTwitterで書き散らしていたことをまとめる意味で

海宝カジに絞ってまとめておきたいと思います。

 

 

東京公演最終出演は3月5日でしたが、

私が最後に海宝カジモドを観られたのは1月半ば。

きっとそのあとも相当進化していたんだろうなぁ。。

その辺りをご理解の上お読みください笑 

 

 

海宝カジモドの最大の特徴、そして私が1番好きなのが、

役者海宝直人⇄カジモドの徹底的な切り離し方です。

達郎カジ、あっきーカジは途中からだったり終始だったりするけど、

本人の存在がカジモドと混じり合う。(当然だけど素が出るって意味ではなくてね)

 

ノートル初見直後、自分が呟いた内容は今見てもこれに集約されるなと思う。

彼が「カジモドを演じている」時間はそこにカジモドしか存在していなかった。

一瞬たりとも海宝直人を認識するときはなかった。役者としてなんと素晴らしいことか。

 

海宝直人からカジモドへの入れ替わりは、あまりに鮮やかかつ劇的すぎて、

それこそ何か魔術を使われたようにと呆然としてしまう。

あの舞台上での俳優から役への移行という演出が最大限に活かされていると思う。

特にカジモドから俳優へ戻ったとき、

俳優の姿に戻った海宝くんは異様なまでに透明感があって清らかで、、ぞっとするほど美しい。 

あの透明感を出せるのは天性の才能だと思う。顔立ちとかを超えて、俳優としてとても格好良い。 

 

振り向いた男の美しさに目を奪われた後は、語りに心を奪われる。

海宝くんの語りはまるで別人。そこにいたカジモドがどこにもいない。

「海宝直人」と「カジモド」はすっぱり切り離されていて、カジモドが彼の体を借りてそこに存在していただけで、

最後の語りの時にはもうカジモドはいないんだよね。

でもカジモドを演じきった「海宝直人」は確かに始まる前とは何かが違って清らかで、

彼が語る”カジモドのその後”は淡々としながらもどこか心が通っているような、そんな感じがする。 

本人もインタビューの中で、このラストの語りを「努めて淡々と話すようにしていた。」

「小説を読んでいるような感覚で聴いていただきたい」と話していて、

本人も相当意識して組み立てた部分なんだろうなと思う。

ちなみにインタビュー掲載記事はこれ。↓

allabout.co.jp

 

あとはやっぱりカジモドの障がいを徹底して演じているところが、この差を生み出す大きな要因だと思う。

口と顔の歪み、耳の不自由さ、話すときの不自由さ、背骨の歪み、

終始崩れたり乱れることがなく、徹底している。

途中からは口の歪みの徹底もだけど、左目ももうほぼずっと開いていなくて、、

口元だけじゃなく目元にもカジモドを感じる。

肉体的なハンデが凄すぎるのに歌唱はどんどん安定していくのよね。。

たぶん海宝くんにとってカジモドを演じている以上、これらがキープされることは当然なんだろう。

 

 

後は少しトピック的に。

 

■ フロローとの関係性

3人のカジモドの中で1番フロローと親子らしさのないカジモド。

どちらかというと恐れ、緊張感を強く感じる。

でも、トプシーターヴィー後にフロローに抱きつこうとするシーン。

海宝カジはかなりの勢いで抱きつこうとするから、引かれた時にビターンと倒れちゃう。

他のシーンではあれだけ愛情関係は薄く緊迫感すら感じるのに、

酷い目にあってぼろぼろになったときに頼って抱きつこうとする相手は

フロローしかいないんだということが浮き彫りになる。

初めは海宝カジとフロローはあまり愛情関係ないのに、あそこはやけにカジから行くなあと思ったけど、

結局カジモドには頼れる人、守ってくれる人はフロローしかいないんだよね。

その人に拒まれて相当ショック受けるから、フィーバスに対しても怒りじゃなくて、

今の自分に構うなって拒否の姿勢を感じる。

個人的には達郎カジよりも海宝カジの方があのシーンの孤独感は刺さる。

達郎カジは普段の信頼(?)がある分修復できそうだけど、

海宝カジは一生あのすり抜けた感覚を忘れられずに傷ついていそうで。

 

投げ落とす前にフロローを抱きかかえたとき、カジモドはすごく悲しそうな顔をしていた。

でも「いや、君はその気だ。」の囁きを聞いてフロローに手をかけて持ち上げたとき、

初めて見るような恐ろしい顔になっていた。

カジモドの顔はあの瞬間、本当の意味で醜く恐ろしい怪物の顔だった。。

「僕が愛した人は2人とも横たわっている」この嘆きのセリフが辛すぎて。

エスメラルダはもちろんだけど、フロローだってカジモドには唯一の関わりのある人間で、

良いことばかりじゃなかったにせよそこには長い付き合いがあって確実に情はあったはずだと思うんだ。

フロローを殺したことでカジモドは文字通りすべてを失ってしまった。

 

エスメラルダとの関係性 

美南エスメラルダだと同じように弱き者への愛情、母親の無償の愛のように感じるけど、

エスメラルダは姉、友人への愛情のように感じる。

だから前者はフロローにも与えられなかった基本的な愛情を得た喜び、

後者は対等に向かい合ってくれる友を得た喜びを強く感じた。

 

海宝カジモドには男を感じない。

カジモドになった瞬間からエスメラルダを見送る最後の瞬間まであくまでカジモドを崩さない彼の愛は人間愛だと思う。

海宝カジモドがエスメラルダにはしゃいで柵に登ってみせたりして喜ぶ姿は、

まるで母親の気を引いて笑いかけてもらってすごく嬉しそうにしている子どものよう。

フロローには基本的な愛情さえ与えられずに育ったから、

自分に優しくしてくれる、それだけで大好きで天使のように思ったんだろう。

 

タンバリンのリズムで下手にいる時とか大聖堂で上にいる時とか、

エスメラルダに釘付けになっている姿がとても可愛い。。

もう目が引き寄せられちゃうんだなって分かる前のめりな感じ。

世界の頂上でを歌い始めるエスメラルダの横で嬉しそうに手すりに乗って

柱とか尖ってるところを指先でとんとんしてる海宝カジモドすっごい好き。

そして♪ふたりで、、いる をあんなにたどたどしく歌っておいて

ラスト1フレーズを爆音で歌い上げるところも大好き。 

 

奇跡求めてでの歌唱も自分に優しくしてくれた好きな人が、他の人間に取られてしまう、

もう自分のことは見てもくれないんじゃないかという悲しみ、絶望。 って印象を受ける。

エスメラルダについていくってきっぱり言うの、カジモドには言えないことなんだよね。

彼にはもう一生ノートルダム大聖堂を出る選択肢はない。醜いから。

たとえどこかに逃れても受け入れられることがないと分かってしまったから。

エスメラルダと一緒に行っても彼女を守れないと分かっているから。

エスメラルダが一緒に来てくれないなら、自分がついて行くという選択ができるフィーバスがどれほど羨ましかったことか。

その選択肢すらカジモドには与えられない。

 

海宝カジモドはエスメラルダに素敵な友だちよって言われて噛みしめるように「友だちだ。」って返す。

でもその直後に彼女は息絶えて、カジモドは初めての人間の友だちを失ってしまう。 

 

ガーゴイルとの関係性 

フロローとも親子ではなく、愛に飢えてる。 

だから海宝カジモドにはガーゴイルたちは本当に大切で貴重な大好きな友達。

特に万寿夫フロローだとドライというか厳しめで、

親子的な愛情がなさそうに見えるから余計にガーゴイルたちと仲良く見える。

♪天国の光のときのやりとりとかもすごく微笑ましくて、

その分、Made of Stoneでガーゴイルたちを遠ざけてしまうカジモドとその拒絶にショックを受けるガーゴイルの溝が辛かった。。

絶望故にもうどうしようもできずに見守ってくれるガーゴイルを突き放し一人になった姿が孤独でとても寂しそうだった。

とある回のMade of Stoneは「己の容姿の醜さへの絶望」をすごく強く感じた。 その前の奇跡求めてからの流れも含めて。

 

それにしても短期間でここまで完璧にMade of Stoneを歌いこなせるようになるなんて。。

しかも純粋な歌唱の安定感、完成度をここまで上げながらも、心の通った芝居としての歌を歌えているって普通じゃない。

ああして完全にカジモドを生きながらも歌はどこか冷静を保ち続けている。素晴らしい。

 

■ カジモドと大聖堂の関係性 

陽ざしの中へ に入る前のセリフ、「僕のサンクチュアリー」

自分を縛る牢獄のような暗い響きを感じる。 

憧れとともに強い恐怖もある外の世界。

なんども想像して1日だけで良い、陽ざしの中で川沿いを散歩したいと夢見てたカジモド。

でも海宝カジはそれは無理なんだって思いながらの憧れだったと思うんだよな。

海宝カジは割と陰系なので「ぼくはもう…行けないのか…」の絶望感が非常に高くて好き。

いつかと思ってずっとそれを夢見ていたのに唯一の望みが絶たれてしまうショックが強くて。

だから外に足を踏み出すきっかけになるんだよね。

 

一方でエスメラルダ救出のときの、「サンクチュアリー!聖域だ!」

海宝カジモドの叫びは、この場所、カジモドの生きるこの場所は聖域なのだと思い知らされて踏み込めない。

毎回鳥肌が立つ。。 いったいどこからあの声が出ているんだ。。

あの叫びを聞いて、カジモドの聖域は破れないよ。

 「聖域だー!」の「だー!」の伸ばすときとか叫びの中に悲鳴みたいなの入るよね。。

そしてそのタイミングで左右の石像がパッとライトアップされるのもまた憎い演出。。

 

 

あの癖のない素直な歌声、圧巻の声量、役作りの方向性、

本当に大好きなカジモドでした。

それまで、「爽やかでルックスも良く実力のある王子様」だった海宝くん、

この役に出会って俳優としての実力と魅力が目に見えて上がったと思う。

こんな役も出来るんじゃないか、この役を観たい!そう思う幅がグッと広がりました。

 

マリウスがあるから京都は難しいだろうけど、

横浜公演にはきっと帰って来てくれますように!

 

「身体が、筋肉が許す限り、カジモドという役は演じ続けたい」と海宝くんの口から聞いた言葉を、

ソロライブで歌ってくれた♪Someday を大切に心に残して、

また劇場で海宝カジモドに出会える日を楽しみにしています。

 

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ついにノートルを語り始めました。

 

近年稀に見るどハマり作品。

役者もあるけど、それ以前にまず作品の完成度が素晴らしい。

こんなにも美しく緻密に組み立てられた作品久しぶりよ。

演劇的な要素も強いけど、確実にミュージカルの魅力もあり。

これぞ舞台の醍醐味…!と思わせる演出も散りばめられた大好きな作品です。

 

ということで第1弾は演出について語ってみようの回。

 

①開演前から客席の空気が違う

ロビーから客席に1歩踏み入れた瞬間、そこに流れる空気が違うのを感じる。

静けさと厳かな空気。まるでノートルダム大聖堂の中に足を踏み入れたような感覚。

さらに足を進めて舞台を見れば、そこには美しいステンドグラスの薔薇窓と左上から柔らかに差し込む陽ざし(照明)があります。

特に1ベルが鳴ってから開演までの時間、観客は息を殺してその時を待っている。

あの期待と緊張に満ちた静寂は、今まで他の舞台であまり感じたことのないものです。

あの場の空気が観客を静めるのか、それともこの作品を観に来る観客が本能的にその静けさを求めるのかは分からないけど。

もちろん、この静けさはその日のお客さん次第なので必ず毎回あるわけじゃないけど。

独特で素敵な空気なので公演が続いてもあの静けさが失われないと良いな。。

 

②鐘の音、コーラス、なんて美しい幕開き

上で書いた静寂のあと、(無粋なアナウンスもなく!)客電が落ちて鐘の音が鳴り響き。

静かなコーラスとともにフードを被ったマント姿の人々が舞台上に現れる。

人々が揃ったかと思うと、全員が一気にフードを外し、この作品のテーマのように繰り返される迫力ある♪AhAhAh〜のメロディーを紡ぐのです。

個人的には第1鳥肌ポイント。

この場にはクロパン、フロロー、フィーバス、エスメラルダもマントの人々として存在しています。

ちなみにフィーバスは下手階段途中で♪時には強くとどろき、

エスメラルダは上手前方で♪この町の魂を歌う、というソロあり。

静かなコーラスから少し恐ろしさすら感じるような迫力あるクレッシェンド、そしてまたすーっと落ち着いたメロディーに戻って、フロローの過去を描き始める。

この幕開きが本当に美しくて、それでいてぐっと世界に引き込まれるのです。

 

③観客の目の前で俳優はカジモドへと変化する

やっぱりこの作品で1番興奮する演出は、この役者からカジモド、そして役者へ戻る過程が舞台上で行われることじゃないかと!

カジモド役者の登場は上手舞台奥から。

他のアンサンブル同様グレーのマントをまとった俳優がセンターでマントをぱさっと脱ぎ捨て、奥から舞台前方へと進みでます。

(舞台奥なので見えない席も結構あるかと思う)

♪教えて欲しいことがある人間と怪物

と歌うクロパンのソロの間、少し周りを見渡しながら進みでる俳優。

クロパンの歌詞を受け継ぎ、♪どこに違いがあるのだろう と歌いながら顔に墨を施し体を歪め重しを背に負う。

海宝カジモドの♪あるのだろ「う」で口の歪みとともに声色も変わっていくところ、鳥肌ものです。

普通の青年からカジモドになるまでの変化は本当に短い時間。

ちょっと目をそらしていたらすぐに終わってしまうのでここはよそ見しない方が良い!笑

 

この墨を使った演出は物語のラストと対応してさらに素晴らしいことに…

エスメラルダの亡骸を大聖堂の外へ運び出したカジモド。

1人の女性(3枠)が近づき、カジモドはエスメラルダを守るように来ないでくれと手で制します。

すると女性は顔に墨を施し、身体を不自然に歪めるのです。まるでカジモドのように。

そして他のアンサンブルも続々と身体を歪めるなか、フロリカのソプラノが下手バルコニーからカジモドへと優しく響き、エスメラルダは静かにカジモドの元を離れて舞台奥へと消えていく。

最後にフロリカが歌い終わって墨を塗り終わると、カジモドだった俳優はまっすぐに背を伸ばして立ち上がり、客席の方へ振り向く。

墨を落としたその顔はもうすでに俳優のものに戻っているのです。

物語の最後の大コーラスでは 、顔に墨を施した人々と、唯一清らかな顔をした”カジモドを演じた”俳優がアンサンブルプリンシパル揃って横1列に並ぶ。

あの演出を目の当たりにしたときの胸の高鳴りを、感動をどう表現していいのか分からないのが本当にもどかしい。

 

④民衆でありガーゴイルでありセットであり語り部であるアンサンブル

この作品においてのアンサンブルの立ち位置は他の作品とは一線を画すと私は思っています。

普段アンサンブル判別が全然できない私が比較的すぐに覚えられたのもそのせいかと。

衣装も基本のものにベストや帽子が加わったりする程度、そしてマント。

このシンプルな衣装だけだけど、アンサンブルはただ”そこにいる人”を演じるのではなく、演じることでその”場所”を鮮明に描いているんだなと感じる。

町も聖堂も、そこがその場所だと分かるのはアンサンブルの存在によるものが大きい。

例えば♪ノートルダムの鐘1曲にしても、初めに出てくる俳優としての存在、語り部、教会に集う民衆、物理的な壁、ジェアンやフロリカという登場人物、町の人、石像、、これだけの役割を果たしている。

語り部とは言ってもとことん客観的なものではなくて、役としての興奮を残したまま観客に向かって叫ぶように語ってくることも多い。

これが舞台の世界と観客の間の溝を取り去りながらも、芝居をどこか客観視させてくれるポイントかなと思います。

あとはカジモドにとっての友人、ずっと見守ってくれたガーゴイルと、カジモドを傷つける民衆を同じ人たちがマント一つで演じ分けるというのも大きいポイントかなと。

それが存分に活かされるのが♪石になろう。

カジモドがはねのけたガーゴイルたちはマントを脱ぎ捨て、町の人の姿になって去っていく。

あとに残されたのは無機質なマント。石に戻ったガーゴイルたち。

そしてまたカジモドが彼らに協力を呼びかけたとき、マントをぐっとカジモドに突き出し、強く頷いてガーゴイルに戻る。

視覚的にもとても見事な演出だと思う。

 

⑤あくまでこれは「物語」である

これに関してはここまで書いてきたこととかぶる部分もあるんですが、、

この作品はあくまで俳優たちが舞台上で描き出す「カジモドの物語」。

人間と怪物、その違いはどこにあるのか。

あなたの心に何かが響いていますように。

そんな言葉をダイレクトに観客に伝え、投げかけてくるけど、

この作品から何を受け取り何を考えるのかは観客に委ねられていて、何も押し付けてこない、この感じが私にはとても好ましい。 

美しく哀しい物語。重いけど、劇場をあとにする気持ちは決してモヤモヤしない。

アンサンブルが語り部を担う演出も、舞台上で俳優とカジモドの変化が行われる演出も、この「物語」を際立たせるためだと思う。

カジモドを演じた俳優が、エスメラルダを失った後のカジモドのことを客観的に観客に語るところ、そしてまとっていた衣装と重しをクロパン役の俳優に返して、互いに深く一礼するところもまた。

美しい。この作品は美しい。(語彙力のなさ…)

私はこの作品、今まで1度も泣いたことがなくて。いつも静かに深い感動だけが残る。

きっと私にはこの5番目のバランスがベストの心地良さなんだろうと思ってます。

 

 

 

と、いうことで1回目演出をメインに語ってみました。

プリンシパルは全員制覇してるので今度は俳優さんによる芝居や役の違いを書きたい。

よければまたお付き合いください!

 

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フランケンシュタイン日本初演の覚え書き 2幕その2(完)

 森の中

舞台は再び森へ戻ります。

ステファン捜索の声が響くなか、ビクター、ジュリア、メイドのもとへ執事(佐々木崇さん、長身で目が大きい、元手下さん)が駆け寄り、見つかったと報告。

恐らくジュリア側の執事なんだけど、見つかった→お腹を刺されていて→犯人は…の流れは酷すぎないか。。

見つかったと聞いて一瞬喜ぶジュリアが哀れすぎる。

 

時が止まり、怪物が現れます。

「復讐、それがお前の望みなのか。なら今ここで終わらせればいい(=自分をここで殺せ)」と言うビクターに、

「焦るな、お前には俺と同じ思いを味あわせてやる。」と宣言して姿を消す怪物。

 

再び時が動き出し、

死んだステファンの近くにエレンが財産目録を手に倒れていた、犯人として民衆がエレンを連れて行ったと執事の報告が続く。

止めなくては!と走り出す4人。

 

アンリ処刑時と同じメロディ(♪あー人殺し)で引き出されるエレン。

アンリの時と違って、取り囲むのは女性たち。

次々にエレンのスカートを掴んでは忌々しげに手を離す。

(公演初期は、ビクター父焼死後と同じように男女関係なくやってきて唾はきかけたりしてたと記憶してるんだけど途中から女性たちが取り囲むようになりました)

銃を突きつけられ階段を上がることを強要されるエレン。

チビソロ「まるで家族のように育てられたのに財産目当てで殺人!残忍な女めー!」は遠山さん。これまた激ウマ。

私じゃないと弁明するもまったく聞き入れられず、むしろヒートアップした民衆に責め立てられ、絞首刑にされてしまう。

階段の上からエレンがはけた瞬間、ビクターが「待ってくれ姉さんはそんな人じゃない!やめろ!やめてくれ!」と駆け込んでくるも手遅れ。

無残にも吊るされたエレンの死体が落ちてきます。

かっきービクターの言葉にならない「やめてくれ」がやばい。語彙力なさすぎて表現できないのが悔しい…

あの掠れた、悲鳴のような悲痛で無力な表現!

大人になって戻ったビクターが(少なくとも舞台上では)初めてエレンを「ねえさん」と呼ぶのがこのシーン。

その声をエレンが聞くことはなかったと思うと辛すぎて死にそうになる。。

 

泣き崩れるビクターのもとに幼い頃のジュリアが「行かないで!ビクター」と駆け寄ってきます。

出発の日の記憶。

私と一緒にいて!と言うジュリアに「僕と一緒にいちゃ君も呪われる…」と茫然自失のまま答えるビクター。(子ビクターが返した言葉と同じ)

過去と同じように台詞は続き、

「約束して!大きくなったら必ず戻ってくるって!戻ってきて私と結婚するって!」

「でも僕が戻ればみんなを不幸にしてしまう」(過去では、♪必ず僕は戻ってくるよ と歌っていた)

 

名残惜しそうに去っていくジュリアと入れ替わりでビクターの名を呼びながら大きな荷物を持って出てくるエレン。

 

正面を向いていたビクターが後ろから聞こえてくるエレンの声に目を見開いて恐る恐る振り向きます。

「冬服を詰めるのに時間がかかってしまって…」と話す声は息が上がり少し弱々しくすら感じる。

ルンゲ「他にお見送りの方は?」

ビクター「…私だけよ」

のやりとりに胸がつまります。

見送りに来る人もいない、孤独なビクター。そんな彼を優しく愛を持って包んできてくれた最大の味方。

もうこの世にいないその人がビクターにとってどれほど大きな存在だったのかを感じて。。

 

「ビクター、お別れね」と声をかけられ、エレンに背を向けルンゲのあとをついて数歩踏み出すも、耐えきれずに泣き声をあげてエレンの腰に抱きつくビクター。

まさに泣きじゃくるという表現がぴったり。

幼い子どものように声をあげてえぐえぐ泣くかっきービクター。

楽日はあまりに泣くので、少しの間胸に抱きしめて間を取るめぐさん。

「泣かないで、ビクター。

姉さんの言うことをよーく聞いて」

ここで膝をついてるビクターよりさらに低い位置になり顔をじっと見上げるエレン。

この目線の合わせ方とスカートの広がりとっても好き。

あまりの声の優しさとなだめるようにぽんぽんする手に泣きじゃくるビクター。それを見て溢れ出る涙を目を見開いてなんとかしようとする私。無駄な抵抗。

 

♪その日に私が

「留学をしたら一人ぼっちよ覚悟なさい(ここの優しい笑い混じりの歌い方、大好きです。。)、

寂しくてもそれがあなた選んだ道 後悔するかもしれない」

「毎晩眠れずに泣いてても誰も抱いてくれないし、甘えられる人などいないの、それが1人ということ」 

「今度あなたに会えたなら、私がぎゅっと抱いてあげるから 」

 

涙腺崩壊ワードが散りばめられたこの曲を鬼レベルの表現力を持っためぐさんが歌い、負の感情の演技がピカイチなかっきーが受ける。

見ていて泣かない方が難しい。。

特にかきこに前楽日は1番涙腺にきました。

まわりのすすり泣きも凄かった。みんななるべく音を立てないように頑張るもんだから息をつくタイミングがだいたい一緒なんだよね笑

 

途中で泣きやみ、エレンのもとを離れてルンゲについて歩き出すビクター。

(タイミングの歌詞が不確か…♪でもあなたは〜 かな。)

ここからビクターと過去のエレン、ルンゲの時空がずれます。

もうエレンが見ているのは歩いて離れていくビクターの姿。(目線が明らかに幼い頃の背丈くらいの位置を追っている)

去っていくビクターに両手を伸ばすエレン。PVにも使われているシーンですが、公演後半はもっとはっきりエレンを抱きしめようとして空を切り、その勢いで通り過ぎてから膝をつきくしゃっと泣き顔になっていました。

「私がぎゅっと抱いてあげるから」、美しく細く伸びる歌声に己を抱きしめるビクター。

もう2度とその胸に顔を埋めて泣くことはできないと思うと私が泣きそう。

 

「毎晩眠れずに泣いてても誰も抱いてくれないし、甘えられる人などいないの、それが1人ということ」

この言葉はエレンを失ったビクターにも当てはまるけど、もう1人当てはまる人がいるのよね。

むしろビクターよりもずっと当てはまる存在、それが怪物。

1人孤独だった怪物、カトリーヌと出会い抱きしめられる幸せとじゃれ合い甘える喜びを知ります。

でもそれはほんの束の間の幻。すべては消え去った。

人のぬくもりを知ってしまった怪物の孤独は何も知らなかったときよりはるかに冷たく辛いものだったはず。

エレンの言葉を聞きながら、「誰かに抱きしめられてた 笑ってた そんな夢の続きを生きてみたい」と切なげに歌う怪物が目に浮かびました。。

 

とにかく!この曲!辛い!!

 

実験室

エレンの死体を城に持ち帰ってきたビクター。

「ついたよ姉さん。僕が生き返らせてあげるからね…」と語りかける。

こいつ何も分かっていない。

エレンがそのまま元の通り生き返ると信じて疑いもしない。

個人的に客席がビクターにドン引きするシーンだと思ってますが、当たり前のようにこの思考をするのがこの男なのです…

そしてこれってエレンのためじゃないよね。完全に自分のため。

エレンが生命創造に賛同していなかったのは明らかです。生き返らせることなんて望んでいないはず。

 

しかし実験室の機械はすべて怪物によって壊されています。

雷光に照らされて壊れていることに気づき、腰を抜かすビクター。

「もう姉さんを生き返らせることができない…」と声を震わせる。ここでやっと本当に永遠にエレンを失ったことを知るんですね。

 

そこへ現れる怪物。ついに怪物が誕生した場所で2人が対峙します。

怪物「俺はこの部屋で生まれた 鉄のベットで」

ビクター「僕はこの部屋で夢みてた お前と一緒に」

と対になるような歌い継ぎ。

「神を超えたくて悪魔に成り果てた」というビクターに、「分かっているのにまたしようとした 悲しい命をまた作ろうとした」と怒りを見せ、エレンの頭を掴んでビクターの方を向かせる。

殺せ!殺してくれ!と迫るビクターを冷たく突き放す怪物。

怒りからあきれへと感情がシフトしていくように感じられた時もあった。

満月が割れたら再び痛みの続きをくれてやると言い残して、1幕ラストで飛び出していった同じ窓から姿を消します。

*和樹怪物

思い通り復讐が進んでいることに満足げな様子を見せるときもあり。恐ろしい笑顔を浮かべているときもあった。

本能のままに動いているような感じ。荒々しい。

*小西怪物

復讐は順調に進んでいるのに少しも満たされているようには見えない。常にかなしそう。もうすでに自分の望みが復讐では満たされないことを自覚しているような感じ。

(2/19追記)小西怪物はアンリの意識が戻る前からどことなくアンリと似ていると思う。ビクターと出会う前のアンリ。

冷静で理性的、だけど絶望を知っていて諦めが浮かぶ目をしている、そんなところが。

とても冷静に淡々と復讐を進めながらもちっとも満たされていない。

機械を壊したのもビクターの行動を予測してのことだけど。。分かっていたけどお前はまだ哀れな命を造ろうとするのか、、と怒りよりもやっぱりお前はそうなのかと呆れたように。

自分が復讐する意味を理解せずに「生きていたくない!殺せ!」と泣きつく創造主、確かに見苦しい。。

 

ステファン邸の前

♪今夜こそ

宣言された日、町の人とともに見回りを強化し、怪物を倒そうとしているビクター。

執事が素敵なマント着てるー!と思ったら傭兵隊長だそうで、別の役でしたww

一緒に見回る人々の中には手伝ってはいるけど内心呆れ、馬鹿にしている人たちも。

ジュリアがビクターに駆け寄り、「怖いわ、行かないで」と抱きつきます。(フラグ)

吠え声が聞こえ、傭兵隊長にジュリアを任せて声の方を捜索する一行。

「違いました!野良犬です!」って報告するのは元ウォルター新井くん。

ベレー帽に十字架持ってビビっているけど吠え声を真っ先に確認しに行く真面目っこwかわいいw

 

悲鳴と2発の銃声が室内から聞こえ、慌てて向かう人々。

ベットには血を流し生き絶えたジュリア、ベットの横には息を荒くした傭兵隊長がうずくまり「申し訳ありません、怪物がお嬢様を殺して逃げました!」

外で吠え声が聞こえ、「外だ!早く行け!」と人々は出て行きます。

怪我を押さえながらも最後に入り口に向かった傭兵隊長。ピタリと足を止め、振り向いて帽子を取る。

怪物でした。

*和樹怪物

初見は和樹怪物だったんだけど、入れ替わりさっぱり気づかず。

振り向いて怪物やん!!ってなりました←

溢れ出るトート感。客席の8割がそう思ったんじゃないだろうか笑

歌はさておきビジュアルはトート似合うだろうなぁ。

*小西怪物

2回目だったのもあると思いますが、小西怪物は声が特徴あるからすぐ分かっちゃう笑

同じ衣装なのにあまりトート味を感じません。冷淡な印象。

 

「なぜ僕じゃなくジュリアを。。この怪物め」と詰るビクターに、

「じゃあお前たちは一体何者なんだ。俺から見たらお前たち人間の方が怪物だ」と冷静に返す怪物。

ほんとだよね。返す言葉がない。

ここも日本オリジナルの追加だそうです。

「俺は北極に行く。殺したければ来い、待っている。」と言い残して姿を消す怪物。

(2/19追記)子どものように泣きじゃくり、哀しみに任せて怪物をなじるビクターととことん冷静な怪物。吐き捨てるような「怪物だ。」でした。。

 

どうでもいい細かい話だけど、

悲鳴、銃声2回。でもジュリアの血の感じは銃殺ではないように思うんだよね。

銃声は人を集めるためのものだとしても、傭兵隊長から(多分殺して)身の回りのものを奪ってなりすまし、ジュリアを殺すってなかなか時間的に厳しいだろうなとか思う。

 

ジュリアの死体を抱きしめ、「これ以上の痛みがこの世にあるだろうか」と歌うビクター。

絶望と己の過ちへの後悔に満ちた歌詞です。

が、ずっと解せなかったのは「愛があれば運命に歯向かえると信じた」という言葉。

いやビクターそんなやつじゃなかったぞ?と思っちゃって。その言葉を口にするのがしっくりこなかったんですよね。

 

それがかきこに前楽で♪後悔を聴いていて、ふとこういうことでは?と浮かんだ解釈がありました。

1幕ラスト、アンリを失ったのと引き換えに首を手に入れ、ついに命の創造が成功したかと思われた。死んだアンリの首は確かに再び命を得た。

でもそれはビクターの思い描いた姿ではなく、理性も知性もない(と思ってしまった)怪物。ルンゲを殺し、自分の前から姿を消してしまった。

親友を失い、想い描き続けた夢は破れ、怪物は行方不明。

大きな挫折。行き詰まり、迷い、足掻いた結果、運命に歯向かうビクターが行き着いたのは「愛」だった。

今まで自分に足りなかったもの。それが本物の愛だったかはさておき、ジュリアを受け入れ、エレンとも和解して「愛」を手に入れた。

でも結果はこの惨状。自分に愛を与えてくれた人たち、そして自分もそこに愛を返そうとしていた人たちを次々と失ってしまった。

その絶望の中で出てきた言葉が「愛があれば運命に歯向かえると信じた」

だったのであればまあ納得できる。

別にビクターの信念だったわけではなく、怪物誕生後に運命に歯向かおうと選んだ手段が「愛」だったんじゃないかと。

それなら急にジュリアと結婚したことも少しは理解できるかなと思うのです。

 

「懺悔しても時は戻せない」と歌うビクターの背後には何箇所かひっそりと咲く赤い花がライトアップされています。

あの花がビクターによって犠牲になった人たちの象徴とするなら、

その中で1人孤独に苛まれ絶望の中で絶唱するビクターがさらに罪深い存在に見える。

(2/19追記)福岡楽、かっきービクターは「みんな死んだ」ではっきりと花を見渡していた。やはりあの花はビクターのせいで死んでしまった人たちの象徴のようですね。

花は7箇所だったので、ウォルター、葬儀屋、アンリ、ルンゲ、ステファン、エレン、ジュリアの7人かな?

 

森の奥

日本版と韓国版で最大の違いがあるシーンと言っても過言ではないでしょう。

韓国のイメージが強くて日本版でもずっとこのシーン、湖のシーンと呼んでいるけどただの森の奥なんですね。

大きな違いとしては、

・湖の有無

・少年の服装(子ビクターか別人か)

・後ろ向きで歌うか前向きか

・少年を殺すか生かすか

でしょうか。

 

個人的には韓国版観たときには(予習不足もあって)湖に突き落としたのが全然理解できず。というかあまりに静かにすっと突き落としたから殺した…のか…?みたいな感じだった。

一緒に観たメンバーと語り合ってもやっぱりこのシーンは分からなかったのよね。

日本版で言葉の意味を理解して観たいと思ってた。ら、演出180度変わったww

一応観たあと調べはしたので、救済説も知っていたし納得できるかなと思ってたんだけど。

ただただとても幻想的で静かで穏やかで美しかったのが印象的だったんです。

だから私の中ではあのシーンは現実での出来事ではない、殺意悪意のシーンではないって感じていたんだよなぁ。

 

結局明快な解釈はできていないのが正直なところです。

このシーンに関してはいろんな方が解釈を出してくださっているからそれを読んでふむふむと考えているんだけど。

やっぱり首を絞めて殺そうとする、っていうのは嫌だなぁと思う。

初めての記憶がビクターに鎖で首を絞められたことなのに、それをやってしまうのかって。

湖に落とすのが解放として描かれるのは理解できるけど、首を絞めるのは危害を与えるようにしか思えない。明らかな殺意ですよね。

 

理屈はさておき、純粋に舞台を観ていて感じたのは、

話し始めるときにはほぼアンリの意識、記憶があるってこと。

友だちの話、と言っている。そしてそのあとの「1人の男がいた〜」以降の歌詞もアンリと怪物両側面からの視点が感じられます。

このシーンではアンリの意識、そして怪物として生きた人生・意識、その両方が彼の体に共存して1人の人格となっている状態だと思うんですよね。

小西怪物からは、ビクターへの情、哀れみを感じました。これは間違いなくアンリのものだと思う。

もし叶うならアンリとしてビクターと再び時を過ごしたいとすら考えたんじゃないかと。

でもそれは首の傷を見た少年から「お兄ちゃんって誰かが作ったの?」と問いかけられたことで打ち砕かれたように感じた。

その言葉で自分はもう人間じゃない、怪物として生きて、やるべきことを最後までやって怪物として死ぬしかないんだと覚悟を決めたように。

「お前も大人になったら他の人間たちと同じような目で俺を見るだろう、だから…」と首に手をかけるところも、小西怪物は結局その手に力を入れることはほぼなかったように思う。

一方、和樹怪物ははっきりと力をこめていた。少年も苦しそうに顔を歪め、あと少しで…というところでふっと脱力。

後半の記憶が強くて和樹怪物がこの曲中でどんな変化をしていたかはっきりと思い出せない。。

(2/19追記)福岡楽、小西怪物は完全にアンリ意識だったと感じました。涙まじりでつぶやくように。

「神になろうとした」でもそれに自分が加担していたのも事実。

「その生き物はどう生きるのかどう笑うのかどう恋をしてどう死ねばいい、答えも出せずに自分のものだと信じているのさこの世の人間は」この歌詞はビクターに向けたものだけではなく、ビクターの実験に協力していた自分自身(アンリ)への問いかけにも聞こえたのです。

少年に手をかけるところも、怪物としての行動を取ろうと殺すために手をかけるけど力を入れようとしても震えてしまって結局できなくて。力なく解放していた。

それはまるで怪物に銃を向けるけど引き金を引けなかったビクターのよう。

ここまで完全にアンリの回は初めてでした。

 

 

「1人の怪物がいた 嘘だと知ってたけど

幸せがあるという地の果てに行った」

そう消え入るような声で歌い、階段を登っていく怪物。

カトリーヌが教えてくれた場所、もうそのときにはそんな夢の場所なんてないって分かってはいるけどそれでも最後に、ビクターとその場所へ行こうと決めたんですね。

 

とここまで思ってたんですけど。。

韓国版では「北極には誰もいないから自分自身が人であることを忘れてしまう(大意)」というカトリーヌのセリフがあると目にして、なぜカットしたアアアァァァってなりました。

人であることも忘れてしまうその場所でなら怪物とビクターは同じフィールドで向かい合うことができるんだね。

絶対あったほうがいいじゃないか。。解せぬ。

 

このシーンが彼の想いを汲み取る最後の場面だと思っていました。

北極では決定打を与えるまで徹底的に怪物を装うから。

闘技場を抜け出して初めてビクターの前に姿を現したときから、ステファン、エレン、ジュリアを殺してビクターを1人にし、北極の地で最後の時を迎えようというのは怪物が決めていたシナリオだと思います。

ただこの作品の悲劇は、100%怪物のままなら予定通りの復讐を果たすことで人間、創造主への憎しみを解消できたかもしれないのに、

アンリの意識が現れることによって単純な復讐では解放されることができなくなってしまったところかなと。

アンリはビクターの過去も思想も、どんな人物かも知っているし、大切な友人で何より愛していたはずだから。

でもアンリもあの最期を回避するつもりはなかった。

・怪物として蘇った自分の命を大切なビクターの手によって終わらせ、辛さ苦しさ孤独からも解放される

・生命創造の理想に突き動かされ道を外れきってしまったビクター(自分もその一因となってしまったという意識もある)をこの世から解放する

怪物としての復讐、アンリとしてのビクターの救済、その2つを果たすために彼は北極に向かったのではないかなと考えています。

 

北極

全然北極に見えないのはさておき。

高いところで待つ怪物の元によろよろのビクターがやってきます。

繰り広げられる戦い。

とにかく回し蹴りが美しい小西怪物に注目。

怪物の背にナイフを突き刺すも、なんやかんやで右足の付け根をナイフで刺され動けなくなるビクター。

怪物に銃を突きつけられ、自ら両手を上げて銃口に額を押し当てます。

それを見てゆっくり銃の持ち手をビクターに向ける怪物。

自分を殺せという意思を感じて銃を受け取り、怪物に向ける。

少しずつ下がりながらコートの前を開き、心臓を露わにする怪物を撃とうとするもどうしても撃てないビクター。

力なく銃を下ろそうとした瞬間、足元に落ちていたナイフを拾い上げて襲いかかる怪物についに反射で引き金を引いてしまう。

 

倒れこむ怪物は目的を果たしたことに安堵した様子すら感じさせる。

「その体では動けまい。お前は1人になるんだ。

ビクター、これが俺の復讐だ。」と告げて生き絶える怪物。

「ビクター」と呼びかけられたことでそこにいるのがアンリだと確信して「アンリ!」と叫んで近づこうとするビクター。

 かっきーの立ち上がろうとして(脚やられてるから)倒れ込んでしまうけど必死に這っていく鬼気迫る姿…

亡骸を抱き泣き崩れるビクター、

最後に天を仰ぎ「神よ呪いをかけろ 何も恐れぬ俺はフランケンシュタイン

しばらくこの歌詞もしっくりこなかったけど、これは自嘲なんだなと思います。

こんなにも愚かな人間、何も恐れないと豪語して道を誤り、大切な人たちを皆死なせてしまった。アンリに至っては2度殺したも同じ。

弱かった愚かなフランケンシュタイン、それはこの俺だと。

本当にたった1人になったビクターの孤独な絶唱のうちにこの物語はおしまい。

(2/19追記)福岡楽、「その体ではもう動けまい、これでお前は一人になるんだ。…独り…分かるか」「ビクター!」「これが俺の復讐だ」

初めて聞いた2度目の「独り」は本当に小さくて、自らその意味を噛みしめるように呟いていた。そして決意を固めたように、少し力が入った、でも紛れもなくアンリの声で「ビクター!」と強く呼びかけたのです。

この最後に息の根を止められた私。なんという、、なんという作品だろうか、、

 

ー幕ー

 

はああついに書き終わった!!

東京楽から1週間あまり。最後まで行き着けて良かったです。。

韓国でドンソクビクター、ウンテアンリ怪物を観て凄まじい衝撃を受けてから約1年。

待ちわびた日本公演でした。

初日開けた直後はあまりに韓国と演出含め違うのと、直前に綺麗に組み立てられ完成された四季のノートルにハマっていたこともあり荒削りすぎてモヤモヤが残る舞台だったというのが正直な感想です。

演出、歌詞にはなかなか不満も多く、書き込みが甘すぎるんじゃないかなと思っています。

役者のパワーでごまかしてるけど、この作品が本来持っていた「凄さ」が失われてしまったような印象で、、

余白が多いのは素敵だけど、余白で済ませるべきでないところまでいじってしまったような感じがして。

ただ、役者の熱演は素晴らしく、楽近くには相当肉付けがされて人物が生き生きと舞台上に存在していた。癖になる魅力がありました。

フランケンシュタイン、大好きです。ここまで書きなぐってる時点で伝わってると思いますが笑

再演は絶対にあるだろうなと私は思ってます。(チケット売れてたしね。)

どうかその際には演出、訳詞を見直してくれますように。心からの願いです。

アンリもこの難曲を歌いこなせるようになって。。

初演の記憶を色褪せないようにしたくて書き始めた覚え書き、たくさん読んでいただけて光栄です。

思い出したことはひっそり追記していると思いますが、、

ひとまずこれでおしまい!ありがとうございました!!

 

それでは最後にご唱和ください。

クマ、オイシイー!!

 

 

ここまでの文字数、4記事合計で約27,500字。

卒論より長い… 

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(2/19追記)福岡千秋楽に遠征をした&その観劇でまたググッと深まった部分があったので追記しました。

名古屋公演も終わり本当に終わってしまったフランケンシュタイン

ビクターにはあれだけ味方がいるのに自ら背を向けて孤独になっているとはじめは思っていたのですが、、

違ったんですね。

愛してはくれるけど、誰もビクターを大人にはしてくれなかった。満たしてくれなかった。誰も対等ではなかった。

そんな中現れたアンリは初めてビクターと対等に並んでくれる人だったけど、結局彼自身がビクターが道を踏み外す決定打にもなってしまった。 

なんて不幸で、そして人間らしい物語なのでしょうか。

絶対にまたこの作品と巡り会えることを心から祈って。

ありがとうございました!