つぶやくには長くて、ブログにするには短い。
けど1クッション入れられるという意味でもこちらに投げておくとします。
わかったつもりでも言葉にまとめるとよくわからなくなってくる。。
この作品の大きなキーワードは、鏡や虚像。
あとは「海」もかなと思うので。その海のことを。
(台詞や歌詞はニュアンスなので正確ではないです〜)
まずは登場人物である
海(へ)。
登場人物3人のうちの1人
へ=子供のへ?海のへ?と作中で聞かれ、結局海のへ!ということになるけど、
子供の方も14歳の頃の李徴の心を持っている存在ということである意味正解、というかダブルの意味ですかね。
そんな海と超が目指す場所は「海」。
前半の海(へ)が思い描く海は、新たな何かを与えてくれる場所、希望であり夢。
そこに行けば自分は好きなだけ絵を描き、超は好きなだけ詩を書くことが出来る。
そんな海に紅が教える海は、「赤い始まり、青い終わり。」
どこまでも広く、止まることなく流れ続け、絶え間なく命が生まれ続ける。
凍ってしまうことはない。
(この赤い始まり、青い終わりは、初めは美しい「青い海と赤い太陽」、のちには「赤い動脈と青い動脈」に。)
一方超が言う「海」は、
どこまでも広く果てがなく、どこまで沈み込んでも真っ暗で底が見えない。
「慰めや同情でまがい物の希望を見せて、その先でさらに深い絶望に突き落とされる。」
超が紅に言うこの辺りの言葉は、「暗い海」に繋がっているのかなと。
彼が言う海は死に場所。
超は死にたいから、そして自分自身では死ぬことが出来ないから、解放されないから、海に終わらせてもらわないといけない。
紅もまた死に場所に行くために必要な存在だけど、決定権実行権を持つのは海。
ただそもそも超が死に場所として海に行きたいと望むのは、
入れ替わる前、超が鏡の中にいた頃に、
海が苦しみと絶望に追い詰められ、死に場所として海に行きたいと望んだからなんですよね。
最後のシーンで海が、
「飛んだその先に海へ行けるだろうか。その海はどんな色をして私を待つのだろうか。」と発した言葉に、
「青だろうか、それとも漆黒の闇だろうか。」と鏡の中から超の言葉が重なる。
海の色がどんな色なのか、
優しく絶え間なく命を生み続ける海なのか、
どこまでも沈み真っ暗で冷たい海なのか。
生か死か。
それは分からないし、海はどちらの要素も持っていて、そのどれもが本物。
でも夢見た希望の海を信じて光を放つ力に変えることは出来る。
最後に海が紅に「紅、君は僕が求め続けた海だった。」と告げる。
そして、超と紅に「君たちがいなければ僕は何も書けなかっただろう」と。
この作品における紅の存在は「海」に近いんですよねたぶん。
希望であり絶望でもある、常に流れ続けるけど暗い底に連れていかれるかもしれない。
愛おしさであり夢であり、苦しみでも妬みでもある。
紅の存在を語るもう一つの大きなパートは、
紅が海に話をする「袋」なことは分かりやすいかと思います。
大きく膨らむ気持ちを抱えきれずに、袋に全て詰め込んで、自分自身は苦しまずにすむようにした。
そんなすべての感情のやり場。
でもあまりに大きくなって心を圧迫して、その袋を捨ててしまった。
(=鏡の奥底に閉じ込めた)
そしてその袋は男の子がいつか自分のことを拾いに来てくれるのではないかと待っていた。
それが紅。
紅の存在が「海」と表現されるものと重なること、浅草でもなんとなく感じてはいたけど、今回より強く感じる気がします。
紅の衣装がピンクのワンピースからブルーのワンピースになったのも余計にそう感じる要素かもしれない。
どちらにしても照明によって紫色 (赤+青)っぽく見える時があるのが印象的だったなぁ。
うん、終着点は特にないです。
とりあえず今の時点で私が「海」について思ったこと。
なんか掴めた気がしても文字にするとあれなんにもないな…ってなる。。
掴めない煙。。
DVD化とても嬉しいけど、あの声量の圧は生で聴いてなんぼだよな〜!
あと数公演、しかと浴びるぞ。。
浅草初演のメモ。↓