メモ書きだけして下書きに眠らせていたけど大人SMOKE開幕ということでそのまま公開にしてみる。
出来たらwest踏まえて加筆出来たら良いけどな…
未見でこれから観る予定の方、事前に読むことは全面的におすすめしません!笑
そもそも読んでもなんのこっちゃだと思いますが…
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なんとなく直感に導かれて足を運んだらドツボだった作品「SMOKE」。
語ろうにもあらゆることがネタバレになりそうだし、初見はネタバレなしで観た方が絶対楽しめるし、、
ということでブログに避難しました。
とはいえまだまだ理解しきれていない。追加できるだろうか。。
本当は誰かに伝えるためのレポにしたいところだけど、まとまりそうにないので自分用メモ。後々話や演出も追記できたら良いんだけど。
浅草九劇って初めて行ったんですけど、本当にコンパクトでまさに小劇場。
今回の作品は中央のステージを4方面座席が囲んでいます。
(これがまた沼だよねえ。。見える景色が正反対になったりするんだもの…)
四隅にはそれぞれ枠があって、2つは薄い膜のようなものが張られ映像演出に使われる、もう2つは枠だけ。
でもこれも良い仕事をしています。。
公式HPよりあらすじ引用。
この閉ざされた世界から
煙のように、抜け出せたら……。
かつては抱えきれないほどの夢と情熱を携えていたはずなのに。
でもいつの間にか、全てを胸の奥にしまい込んでしまった。
自分自身の限界を悟ったとき、未来への視界を遮るように立ち込める煙……
SMOKE。
天才詩人と言われながら、27歳の若さで、異国の魔都・東京で亡くなった、韓国人詩人、
李箱(イ・サン)の作品、「烏瞰図 詩第15号」にインスパイアされクリエイトされたミュージカル「SMOKE」。
天才詩人の詩と美しい音楽が出会い、誰も想像できなかった物語が繰り広げられる。
“鏡の中をのぞき込んだら、自分の「こころ」だった“
登場人物は3人、詩を書く男「超(チョ)」、海を描く者「海(ヘ)」、心を覗く者「紅(ホン)」の3人。2人の男と1人の女が繰り広げる物語は、世を儚む「超」と海を夢見る純粋な青年「海」が、海へ旅立つための費用を工面するのに裕福なとある女性「紅」を誘拐するところから始まる。海へ行くその目的はとは……?3人の関係は……?
これ初回観劇後にやっと読んだんですけど←
観劇前に読んでもピンとこなそうというか、この作品の真髄は伝わらないだろうな…
いやでもこれ以上言えないのも分かるんだけど。
まあでも口コミでじわじわ広がってるのかなーと勝手に思っている。
【出演】
超:日野真一郎(未見)・木暮真一郎
海:大山真志
※ここから普通にネタバレ全開でいきます。
最大のネタバレは。
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3役として描かれている3人は、独立した人間ではなく、
イ・サン本人(または幼い頃の彼、または色々、、)=海
鏡の中のイ・サン、彼の理想、なりたい形そのもの、書き続けて行き着いた先=超
才能そのものとは離れた、愛・希望・絶望・妬み、母であり姉であり…=紅
一言では難しいけど、雑に言ってしまえば超と紅はイ・サンから生まれた実体のない存在。
でもこれが色々複雑なんですよね。。把握と理解に苦労する。。
流れとしてこれであってたかな…もうこれ思い出そうとしても記憶がごちゃっとして時系列さえ自信がない。。
①冒頭刑務所
「超」のシーン
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②誘拐(3人)
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③「超」と「海」のシーン
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④「海」と「紅」のシーン
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⑤束の間の3人
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⑥「超」と「紅」のシーン
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⑦3人のシーン
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⑧回想
「超」が、「海」に思い出せと言う「紅」に苦しめられたとき
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⑨耐えきれず「海」が鏡の中の「超」と入れ替わり「紅」をさらに奥の鏡に閉じ込めたとき
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⑩回想を経て「海」がすべてを思い出したとき
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11.終わらせようと銃を頭に当てる「海」を「紅」が止め、「超」のことも包み込んだところで「海」の発砲
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12.刑務所
「海」のシーン
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13.自分の家?部屋?へ戻った「海」が「超」と「紅」に再び出会う
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14.エンディング
幕開き、床に倒れ込み激しく咳き込む男(たぶん投獄中の李箱)。ここで演じるのは超役。
「書くのをやめろ」等の責め立てる声が響く中、机に向かって詩を書く。この時左手で書いているのが後に伏線に。
「言葉は重荷である。」の詩。剥製になった天才みたいな言葉もここであったような…(記憶が死んでる)後にそんな歌詞が出てくる歌もあります。
「私は自分で死ぬときくらいは自分で決めようと思う」みたいな言葉で暗転。
次のシーンに移る暗転直前に海の姿が鏡の枠越しに見える。
一転して、枠越しに女性(紅)と、別の枠に超と海。
超と海が三越デパートの娘である紅の誘拐を企てていることが分かる。
海はあまり乗り気じゃないというか弱気な様子で、この辺りですでにスリル・ミー感漂うww
強気で自信に満ちた様子の超と弱気で幼い感じの海、という構図もスリルミっぽい。
ここで体を揺らしながら紅が歌っている歌、初見では分からなかったけど、
歌詞がまさに「紅」の存在の説明そのものなのね。。
2回目観ると、実はほとんどすべてが説明になっていたことに気づく。
誘拐に成功し、戻ってくる場所は最終的に釈放後に戻ってくる場所とイコールなのかなと思ったりもするけど、どうかな。。分からんな。。
超は身代金を要求する電報を打ってくると、気絶させた紅と海を残して部屋を出て行く。
それまでに超が「万が一のための、保険だ」と拳銃を持って行こうとする、「僕にも保険は必要でしょ」と海がその拳銃を超から渡させる、の流れがあるけど、ここにも何か意味はありそう。まだ分かってないです。
超が海に「お前が上手くやれさえすれば問題は起きない(大意)」というような台詞を言うけど、ここには意味を感じる。実際に何かをして、主導権を持っているのは「海」。超には出来ることはない。
詩が書かれた紙の束や本をゴミ箱に投げ込み処分しようとする超になにをするんだよ!と奪い取って辞めさせようとする。
「君の財産じゃないか!」と言うけど誰も理解しない、自分には才能がないと怒りを口にする超。
「海」に、海に行きたいんだろう?彼女こそ最後の切り札でこれしか方法はない、というようなことを繰り返す「超」。
怒りだけじゃなく不意に優しさもあったり、これがまたスリルミっぽさを感じさせるけど実際のところは全然意味合いが違うのよね。
人間の不安定さと、実体がない人間が担わされているものの違いというか。
超が出て行って紅が眼を覚ます前?の「どんなに怖かっただろうか」みたいな歌のあたりな真志海の歌声すごく好き。
しっかり見張れ、惑わされるな、と言われていたのに、気絶から目覚めた紅に上手いこと誘導され、口も、目も、手も自由にしてしまった海。
あなたはいい人なんでしょ!?
僕はいい人です…
紅も、そして超もふとしたときに激しく咳き込み、病気であることが示唆される。
(=肺を患っているイ・サンと一体である。ただし海はラストの刑務所シーンまでその描写はなかったはず。)
「私のことを分からない?」と紅に聞かれるけど分からない海。
紅に「自分たちは海に行きたい」ことを伝える。それが誘拐の理由。
彼らはとても貧しいから海に行ったことがない。
海に行けば超は詩を書けるし、自分は絵を描ける。だから海に行きたい。
紅は「どうして海に行ったことがないのにそう出来るって分かるの?」と聞くけど、僕にはそうだと分かるんだと答える。
あなたは海に行ったことがありますか?で、絶え間無く命が流れる〜
赤い始まり青い終わり、青い終わり赤い始まり、
記憶がごちゃっとしてるけど、
「超は詩を書いて、僕は絵を描く」というような海の歌が先だったはず。
明るくテンポの良い曲。
その素敵な友達と私を誘拐したのね で、はい!と答えてしまう。
詩の紙を見て、詩も書くんですか?
自分も物語を書いたりするけど「才能」がないから作品みたいなのは書けないと。
話を聞かせてくれと言う海に紅がある少年と袋の話をする。
イ・サンの少年時代そのもの、そして袋は紅の存在。
捨ててしまった袋。袋はどうなったのか?
少年を愛おしく想い続けて、いつか拾いに来てくれるんじゃないかと待ち続けた。
でもどうなったかは知らないわ。
彼の詩を読むと胸がぎゅっとなる…はどこだったかな。。
紅の音読にあわせて暗誦して、聞かせてくれたから覚えたと。
レコードの再生機 名前…を見つけてそれまだ動くのかしら?
音楽が聴きたいという頼みにかけたレコードに2人ともその曲が好きと盛り上がって踊る。
恋をしたことがある?
ところで前半の海のあどけなく、落ち着きのない幼い様子、子どもというよりはある程度は成長した体なのに精神が未発達、軽く障がいがあるようにも感じます。
思い出すのはIndigo Tomatoのタカシ。あれはサヴァン症候群という設定でしたね。
「超」は超越の超だと思う。
超えた存在。そうでなければならない、と紅に言われるのはそういうことだ。
でも「超」にも人格があり、超人になれない自分自身に彼もまた苦しむ。
そんな彼を支えるのもやはり「紅」。
思い出せと言われて、始まる回想。
鏡の中の超と入れ替わり、そしてさらには紅をさらに奥の鏡の中へと閉じ込める。
鏡の中に入って小さくなって、だから超は探して探してやっと見つけた。
煙が立ち込めるのは時系列のずれ(回想)のタイミングかな。
閉じ込められた後、また鏡の前に戻ってきたときはまた時系列が戻っている。