No day but today

ミュージカル関連をディープかつマニアックに語りたいがために作ったブログです。普段はTwitterでわっしょいしてます→@musicalamnos

スリルミーを好きと言いづらい問題(という名のスリルミ語り)

語るテーマが統一性なさ過ぎるなと思いつつ笑

今日はこれを語りたい。

 

「スリルミーを好きと言いづらい問題」

 

ちなみに私はスリルミー好きです。

観劇数は少ないけど日本のCD3種はipodに入ってるし韓国でも2回行ってるし

やるなら気合い入れて観に行く!くらいには好き。

 

じゃあなぜ好きと言いづらいかと言えば、この作品の登場人物が同性愛関係であり、

それだけであーそういうの好きなのね、腐ってるのね

的な勘違いをされる場合があるからである。

 

違う!それは違う!何も分かってないな!(バルジャン風)

いやね、ミュージカルファンがそんな簡単だと思うなよ?と言いたい。

同性愛要素あるだけで目の肥えた我々を劇場に通わせられると思ったら大間違いだから。

 

もちろん登場人物の同性愛関係に魅力がないとは言わない。

むしろすげー魅力的。がん見しちゃう。

だけどさー違うんだよねー

トートとルドルフだってキスするけど大事なのはキスじゃないやん?

そりゃ美しいししっかり見るけど、そのキスに「死の口づけ」という意味合いがあるから

そのシーンはとても魅力的になるわけで。

 

ということで問題とか言いながらそれに対してオチのないこの記事は

スリルミーの魅力について語り始めます。

ちゃんとね、こんな素晴らしさがあって、だからスリルミー好きな人は多いのだと。

 

この作品は1回目に感じる魅力と2回目以降に気づく魅力とがあると思う。

まず1回目で分かる魅力

◎休憩なし!ノンストップでかけぬける緊張の100分

初回で感じたのはとにかく「緊張感」

驚くほどに劇場の空気が張りつめていて、その空気に飲み込まれ目を見開いて舞台を見つめているうちに終わってしまう。

ではその緊張感を生むのは何なのか。

・「私」と「彼」たった2人の出演者

 (出演者はたったの2人。これがまた彼らの世界の狭さと関係の濃密さを感じさせる。)

・ピアノ生伴奏による心をかき乱される旋律

 (あの♪たんたたんたたーん たんたたんたたーん を聞いた瞬間のぞわぞわ感!

  観たことある人は分かってくれるでしょう!)

 

この2点が大きいんじゃないかと思う。

 

そして2回目以降気づく魅力

◎この作品、キャストが変わるとすべてが変わる…!!

これが本当に恐ろしいところなんですよ。

言ってしまえば「彼」も「私」もどうにでも作れてしまう。

制約が少なくて役者によって作り方が全く変わってくるんですね。

そして全く違う役同士が真っ向からぶつかるこの作品では、

2人の性格、関係性、立場逆転のタイミングなどなど大きく変わり、

作品自体の印象まで別物になる。 

 

最高じゃないか!!!

 

  

「彼」「私」はどちらもがっつり頭が良いけど、

「彼」はニーチェを崇拝し自分を特別な人間であると語り、

「私」は「彼」と同等に話ができるのは自分だけだと自負し、「彼」を愛している。

 たぶんここまではどのペアも同じ。

 

そこから先はもう人によってまるっと違うんですよね〜

 「彼」にしても

序盤「私」に対して関心もないタイプ、関心はあるタイプ、愛があるタイプ。

完全に見下して適当に扱う、気まぐれで構う、愛はあるけど支配欲が出るDV系などなど、、

立場逆転のときも、怒り、焦り、唖然、この感情の配分が全然違う。

 

「私」は、

とにかく立場逆転時にどう変化するかですね。

怖いほど冷徹になる人もいるし、感情をすべてぶつける人もいる、

冷静に接しながらも愛が溢れ出てしまう人もいる。

 

 

個人的に見所だなと思うのは(全部なんだけどね!)

・バードウォッチングする「私」にまず「彼」がどう絡んでいくか

・♪スリルミー のすべて

・♪スポーツカー「彼」の少年へのアプローチ

・♪死にたくない「彼」が追いつめられて起こす反応

・♪九十九年「私」と「彼」の立場逆転

 このシーンは演技上だけでなく、ハモリでも「私」ががっつり上にくるのがポイント

 このあたりペアごとの違いがくっきり見えて本当に楽しいです…!!

 

日本ではおかきペア(柿澤×尾上)、韓国で2ペアしか生で観たことないぺーぺーなので

語るのもおこがましいんですけどね。。

CDで聴くのも入れたら好みの「私」は断トツで田代万里生氏。

彼はもう「私」を演じるために生まれてきたんじゃないかと個人的には思ってます。

あの几帳面な歌い方も合ってるし、スリルミーでの迫り方、すがり方、「お願い」の言い方、

♪九十九年での圧倒的な逆転感、最高。背筋ぞくぞくするしもう絶対勝てない。

 

おかきペアは高圧的自己中「彼」に気持ち悪い系「私」で斬新だった。

あの「私」の気持ち悪さは凄い。

そしてかっきー「彼」の高圧さと追いつめられたときの荒れ方はまさにかっきーの魅力の極み。

 

韓国は2ペアとも子犬系「私」だったけど、片方は完全に力でも制圧できるオーラの強い「彼」、

もう片方は確実に愛が見えるけどたまにコントロールできずに「私」にぶつかるDV系「彼」だった。

後者の愛ありペアは最高に良かった。

 両者に愛があると立場逆転のシーンの深みがぐっと増す。

「彼」サイドに愛がないとき、♪九十九年は「彼」にとって絶望と恐怖しかない。

「私」は彼を追いつめ、2人の死ぬまでの時間を手に入れる。

でも「彼」に愛があるときは、、

こんな形でなくても「私」は「彼」の時間を手に入れる方法があったのではないかと感じる。

それまでキスで言うことをきかせていた「彼」のキスを拒むところも、 

淡々としていた「私」がキスをぎりぎりのところで拒んで涙をながしたとき、

そしてそれを見た「彼」の顔を見たとき、

客席で(こんなパターンがあるんかあああいいいいい!!!)と死にそうになりました。

これだからこの作品は魅力的なのです。。

 

熱く語り過ぎて何を言いたかったのかすっかり分からなくなってしまった。。

まあそれが私クオリティですよね←

 

スリルミー?同性愛?ホモ?あー腐ってるのね。

じゃなくこの作品にはこれだけの魅力が詰まってるんだよ!!というお話でした。

 

もしここまでお付き合いいただいた方がいたら本当に嬉しいです。。

スリルミー最高!!

 

CATSにはまった私はオタクだった

前記事でも書いたように私がミュージカルにはまった作品はCATSでした。

 

当時はそんなに考えなかったけど、

今思うとCATSってとても特殊なミュージカルだと思う。

 

だって猫よ!?

オール猫!

ただでさえ突然歌ったり踊ったりするのが不自然!と言われるミュージカルなのに、

なぜ猫が歌ったり踊ったりすんねん!って言われかねないなと思います。

 

(ライオンキングだってライオンとかだけどリトルマーメイドだって人魚とかだけど、

ディズニーってまた違う分類な気がする。)

 

CATSはT.S.エリオットの詩が原作なのもあってかなかなか哲学的なのよね。

グリザベラの存在とか「天に昇る」ものを選ぶとか。。。

 

ただ私はそのあたりを一切考えずに観て楽しんできた。

やっぱりまだまだグリザベラのメモリーに何かを感じられるような女ではないんです。

正直言ってしまえば劇中のメモリーに感動したことも涙を流したこともない。

それは無理に感じようとしなくてもいろんな経験をして人生を歩んでいけば

きっといつか自然に響いてくるんだろうと思うのでね。

だけどそれ抜きでもCATSは楽しい!

 

1.役者の肉体

一発目から変態みたいだけど違うの!聞いて!

この作品といえば男女ともに全身タイツの衣装で有名ですが←

もうねとにかく身体がよく見える。

ダンスの筋肉の使い方から声を発するために身体に息を取り入れた瞬間も、

激しいダンスの後に最高のドヤ顔をしながらも激しく動く胸とお腹も。

鍛えられた役者の肉体はとても美しいし、CATSはそれを堪能するのに最高の衣装!

 

2.CATSシアターという空間

黄色と黒の外観からしてワクワクしません!?

客席に入った途端そこは夜のゴミ捨て場。

個人的には、夜と雑多にモノが溢れた場所ってテンション上がるポイントなのです。

それがどっちも存在していて、人間がいつも見ているサイズよりずっと大きい。

ゴミ捨て場の中にいる、中から外を覗いているような感覚になれる。

 

3.息もつかせぬ群舞

ソロナンバーももちろん楽しいけど、

やっぱりジェリクルソングとジェリクル舞踏会が最高。

全猫が現れて踊り狂う。

特に舞踏会はジェリクルムーンに誘われ、取りつかれたかのように

生き生きと鋭く踊る猫たちがとてもとても格好良いのです。

踊りきってポーズを決めた表情の誇らしげな様子と激しく息をしている感じが

何よりも大好き。

 

4.自由度高めな猫たち

四季というアドリブ出来ない劇団のなかでCATSは唯一の例外と言っても過言ではない。

役者の裁量に任される部分が多くてしかもそれ×24!

しかも同じ街で暮らしている猫なのですよ。

単体だけではなくそれぞれの関係性も楽しめるのがポイント。

 

たとえばマンカスとタガー。

真逆な性格なのは間違いない。

でも役者によってマンカスの方が年上っぽかったり同い年ぽかったり年は下だけど大人びてる印象だったり

いろいろだし、デュト様ナンバーのデュエットやミストナンバー前後だけでも組み合わせによって

印象は大きく変わってくる。

 

こんなのがごまんとあるんだもん、楽しいでしょう?

歌やダンス、ちょっとした目線のやりとりからでも関係性は感じられて、

しかもそれは人間同士じゃなくて猫なのにちゃんと分かるの。

 

まあでもその関係性とかを楽しめるのはあくまで歌やダンスのレベルが

一定水準を上回っていることが絶対条件なわけで。

私が横浜CATSでちょっと遠ざかった理由はやっぱり完成度の低下とだれを感じたから。

北海道CATSに行ったときは別物のように生き生きとしていて嬉しかったです。

大阪では新キャスもどっと増えてまた新しい魅力的な猫たちが生まれているんでしょうね。

 

関係性の想像(妄想?) の余地が大きいのがCATSをいくらでもリピートできる理由の

かなり大きな部分をしめてるんじゃないかなと思ってるし、

そこにのめりこむのってやっぱりオタク気質なんですよね。

今はこうやって冷静に分析出来るけど、小学5年で無意識にそこに魅力を感じちゃって

ハマった私は根がオタクだったんだろうなあという話。