ファインディング・ネバーランドを観てほしい。
先日シアターオーブで来日公演を行ったファインディング・ネバーランドを観に行きました。
いやー今までの観劇人生の中で、ミュージカル好きに絶対に観てほしいとこれほど強く思った作品はなかった。
開幕後、観劇したミュージカル役者、ミュージカルファンの大絶賛がツイッターに溢れかえっていました。
個人的には直接会った何人かにも勧められたし、この作品を勧めるために1年ぶりにLINEが来た人も。笑
こんなにみんなが口を揃えて良いと言う作品に出会ったことがなかった。
そんなことある?って正直少しの疑いを持ちながら観に行って、納得しました。
これはずるい。
そしてみんな観て。
この作品のどこがそんなに良いのか、そしてどうして観てほしいのか。
まとめたいと思います。
※ネタバレに関して
大まかなあらすじや、そこだけでは真髄に触れないと私が思う部分的なシーンの参考動画(公式より)はすでにこの下から入ります。
さらに深い話をするためにもう1段階ネタバレが入るタイミングがありますが、
そこは改めて注意書きをしています。
個人的にはこの作品はネタバレで見方が変わるような話ではないと思っていますが、
嫌な方もいると思うのでそこは自己判断でお願いします。ね。
まずは最低限の作品知識を。
ファインディング・ネバーランドとは
ジョニーデップ主演の映画"Finding Neverland"(邦題:ネバーランド)のミュージカル化。ということで2015年にブロードウェイで初演。
ストーリーを超シンプルに言ってしまえば、
スランプ気味の劇作家バリが、4人の子供たちと未亡人であるその母親シルヴィアと出会い、交流を深める中でピーターパンという作品を生み出す。という話。
ピーターパン誕生秘話ですね。
どう?そんなに面白くなさそうでしょ(小声)
確かにまあストーリーは上記の通りで間違い無いんですよ。
ある意味王道、いくらでも聞いたことのあるような話。
個人的にはあらすじを聞いても全く興味を惹かれなかったのが問題の1つだと思っています。
ピーターパンが好きな人しか興味をそそられないというか。
でもね!!この作品そういうストーリーあまり気にしなくて良いです。
ピーターパン好きじゃなくても、詳しくなくても、何も問題ない。
(もちろん好きな方は大いに楽しめると思います!)
むしろこの「ピーターパンの誕生秘話」という煽りが足を引っ張っている気がするので、
ここでうーんと思った方もそのまま気にせず観てください。
観れば、この作品においてこのストーリーがテーマを描き出すのに非常に適していて、効果的なことが分かります。
おすすめポイント
音楽が美しい
これに関しては割と個人的な好みも入ってくる気がしますが、、
この作品は音楽も素敵です。
今回、作曲作詞はイギリスのグループTake Thatメンバーのゲイリー・バーロウさんという方が担当。
今作が初ミュージカル楽曲だったそうですが、凄いね。。才能はジャンルを超えるんだね。
アップテンポの曲も良いけど、バラード系の美しさ切なさが絶品。
音楽の良さを表現するのは難しいけど、とても美しくてキラキラしていてどこか物悲しさがある。心に染み入るような曲が多いです。
※動画はホリプロオンライン公式のものです。
非現実的なパフォーマンス
現実ではまずないレベルの誇張気味のパフォーマンスというか。良い意味で。
例えばアンサンブルのダンス1つ取ってもコミカルでアクションが大きめだったり。
人間の可動域と身体能力を思いっきり使っているなと感じます。
いかにもミュージカル的な部分が多い。
私はもともとそういう典型的なミュージカルっぽさが好きなのでただでさえ好みだったんですけど。
その大げささがまったく違和感なく世界に溶け込んでいるところがとても良いなと。
現実の世界でも、「想像」の世界でも。
この動画の2シーンなんかは、同じように非現実的でありながらも、
1つ目の後半は(ある程度)現実の世界で誇張表現が思いっきりされているし、
2つ目は衣装からセットから完全なる想像の世界。この曲の大砲の音と振動が客席を揺らす大迫力!
※動画はFindingNeverland公式のものです。
ただもちろん全てのシーンがそんな感じなわけではなく、シンプルに役者の歌唱と心の交流のみで成立させているシーンもいくつもあります。
さて、
ストーリーは目新しくない。
音楽は美しい。
パフォーマンスが非現実的で楽しい。
あれ、こんな作品いくらでもあると思いません?
ここまではことごとく絶賛される理由にはならないと思います。
じゃあ、なぜこの作品は観た人の心に響くのか。
私が考えるその最大の理由は、
この作品が誰にとっても「自分自身の話」になるからではないかと。
バリとシルヴィアとその子どもたちの話は、観ているうちに自然と自分自身と重なっていき、
最後のあまりにも美しいシーンでそれぞれの1番大切な何かをそこに感じるのです。
このシーン、純粋に綺麗だし見事です。
でも単独で映像で見てみたところであの感動はびっくりするほど、ない。
なぜなら、あの時間あの舞台を観ながら各々の心の中に溜まった気持ちや想い、
そして最高潮に高まった「想像力」があってこそあの美しさは意味を持つからです。
こればかりはいくら言葉で説明しても無理だと思う。
体感して欲しい。あの鳥肌が立つような光景を。
そしてそのとき自分が何を感じるのかを。
これこそがミュージカルが好きな人みんなに1度この作品を観て欲しい最大の理由です。
さらに言えば、何度観てもきっと素敵だろうけど
初めて観た感覚はたぶんずっと超えられないタイプの作品だろうなとも思います。
だから1度目を大切にして欲しい。
日本キャストがその1回目に相応しいものに仕上がるのか、私は正直あまり期待を持てていません。色々な要素で。
(ちなみに1つは制作費が全然違うだろうと予想されること。)
あともう一つ、この作品にやられるのは特に大人だと思います。
その理由としてはこの作品の2つの大きなテーマ。
(これは正直子どもが見ても理解しきれるとは思いません。
もちろん子どもは子どもとしての見方があるだろうけど、子どもでしかいたことがない限りこのテーマは感覚として分からないだろうな。。)
誰しもが経験して来た子どもから大人への成長。
人が多かれ少なかれ必ず持っていて、ミュージカルが好きな人は平均値よりもさらにその部分を大切にしていると思われる「想像力」。
このテーマって触れられると信じられないほどに心をかき乱されるんですね。
それをこの作品は直球で描いている。
観ている間ずーっと自分の心を掴まれて揺さぶられているような感覚です。
誰もが「当事者」になる。
自分自身を見つめて、自分の心と向き合って、自分が何を大切にしているのか、に改めて気づかされる。
もしかしたらそこに見るのは自分が失ってしまったものかもしれません。
友人と話していて、あーこれ人によって少しずつ違うんだなと思いました。
でも当たり前だね、だって生きてきた人生が違うんだもの。
テーマとしてあげた「想像力」ですが、
乱暴に言ってしまえば「子どもの想像力」と「大人の想像力」の2種類があって、
その両方が描かれていることがまたこの作品の重要な部分だと思っています。
ちょっとこれ以上はネタバレをせずには詳しく話せないので、
ここから先は多少のネタバレも含みます。
個人的にはこの作品において内容を知らないで初見に挑む必要性はあまり高くない、
というか体感が全てなので予備知識の有無はあまり関係ないと思ってますが、
どうしても知りたくなければストップしてくださいね⚠️
さて、ではその2種類の想像力についてさらに詳しく。
そろそろ観た人向けになってきちゃってるかもしれない。笑
この作品に出会って、この感覚を自分なりにどうまとめたら良いのかなと色々見ていた中でこんな記事に出会いました。
【批評】ふたつの想像力、ひとつの舞台――ブロードウェイ・ミュージカル『ファインディング・ネバーランド』/藤原麻優子 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
(批判的な部分に関してはあまり同意できかねますが笑、)個人的にこの中で言われるふたつの想像力という分類にとてもしっくりきて、一気に自分の中で理解が進んだところがあります。
まず1つ目は、子どもの想像力。
ごっこ遊び、何もない場所で何でもないもので無限に世界を描き出し、楽しむ力。
バリと、きっとシルヴィアもこの力を他人より持ったままの大人です。
対照的に描かれるのは、プロデューサーやバリの奥さん、シルヴィアのお母さん。
子どもの想像力を失った大人たち。
後半でピーターパンの戯曲に対して不安を持つ役者たちが、演じる(Play)ことは遊ぶ(Play)ことであることを思い出して童心に帰る(というか自分たちの仕事への想いの根本を思い出す)シーンがあります。
(おそらく役者さんたちが観に行って響いた部分はここなんだろうなと感じる感想ツイートをよく目にしました。)
ちなみにこっちの想像力がテーマになる部分は、上で書いた非現実的なパフォーマンスが多用されているように感じます。
たぶんかなり意図的に使い分けてる。
個人的には初めのうちは、自分を後者の大人たちと重ねて観ていたような感覚でした。
自分はこの力を失った側だなと自覚して、その子どもの想像力を羨ましく思って。
そして2つ目は、大人の想像力。
こちらは上の記事では「肉親を失い心の痛みを抱えた者が必要とする切実な想像力」と表現されています。
こっちに関しては少し私の感じたことは違って、死の悲しみに対してだけではなくもっと広いものかなと。
死の悲しみ、心の痛みももちろんあるだろうし、それ以外にも人間には辛いことや耐え難いことはたくさんある。
そして別にそこまで重いものでなくても良いと思うんです。
ちょっとした辛さから目をそらすためでも良いし、ありえない、起こりえないと分かっている上で夢を見る力でもあるというか。
シルヴィアの息子ピーターは父の死以降、ごっこ遊びに興味をなくし(むしろ嫌がって)、子どもの想像力を封じようとしています。
バリ曰く「彼は大人になれば、辛くないと思っているみたいだ(超大意)」
子どもの想像力を捨てれば大人になれて、そして大人は辛くない、そんな風にピーターは思っている。
バリのおかげで1度は無邪気に子どもの想像力を取り戻して爆発させ、物語を生み出すようになるピーターですが、転機があり再び彼の心は固く閉じようとする。
そんな中、上であげた動画のバリとピーターのデュエットがあるのです。
バリが大人の想像力を伝えるこの曲。
あくまで私の解釈になりますが、
悲しみを知った子どもが空想なんて役に立たない。という一方で、
大人であるバリは、地に足がつかない、雲の上にいるとき(=想像の中にいるとき)、心の痛みから逃れられる、そこは安全だしそこにいていいんだと語りかける。
逆じゃない?と感じるようで、この大人の想像力を伝えていると思うととても深い。
辛く苦しい現実を生きていかなくてはいけないからこそ、大人には想像力が必要なのです。
そこに頼って、助けてもらって良いんです。
個人的にはそこまで重くないところで言えば、私がミュージカルを好きなのもそこなんじゃないかと思います。
地面から足を離して、雲の上で、想像の世界に行ける場所。
2つ目はそんな少し悲しい、でも絶対に必要な大人の想像力。
こちらは1つ目と対照的に、過度なパフォーマンスはなく、ただシンプルに演者の歌唱やセリフのやり取りだけで描かれる部分が多いように感じます。
バリはこの2つの想像力をどちらも持ち合わせ、言ってしまえば子どもでもないし大人にもなりきれない人。
でもみんなそうだと思うんですよ、多かれ少なかれ。
実際この作品の中で、序盤では子どもの想像力を失った大人として描かれている3人(プロデューサー、バリの奥さん、シルヴィアのお母さん)も、確実に変化があります。
決して綺麗なハッピーエンドとは言い切れないけど、何も変わらないことはなくて、そしてそれが絶妙なリアルさだと私は思う。
誰がどう変化していくのかは、ぜひ劇場で見守ってください。
ということで、(長い)
この2つの想像力という大きな、そして人間みんなに通じるテーマがこの作品を魅力溢れるものにしているのだと私は感じています。
他にも「ピーターパン」とのリンクというか、作中の役が誰をモデルにしているとか、その伏線がちょこちょこ隠されていたりとか、そんな楽しみもあります。
私はあまりピーターパンを知らないので、気づいていない部分もたくさんあると思いますし、ピーターパン好きな人はその辺りも面白いんだろうなぁと。
あと、原語の歌詞がなかなか上手く出来ている部分がありそうだなというのも感じています。
こればかりはネイティブレベルの英語力があれば…と悔やまずにはいられないです。毎度のことながら。
さて、自分でもとっちらかってきたので最後にまとめを。
(これだけで良いよとか言わないで…!)
・この作品がみんなの心に響くのは、誰にとっても自分自身の物語となるから。
・私がこの作品を観て欲しい理由は、
シルヴィアのラストシーンの美しさと感動を体感して欲しい&その瞬間に何を感じるかはその人次第だから。
・特に大人に、この作品の2つのテーマが響くはず。
そのテーマとは、子どもから大人への成長、2つの想像力。
布教のために書くんだから短めに!と思ったのにまた長くなってしまった。。
この作品がここまで絶賛された理由は書いた通りかと思いますが、
この作品を観て何を感じるかはそれぞれが何を考えどんな人生を歩んできたかによって異なるはずです。
だから、あなたが何を感じるかは観てみないと分からない。
でも自分の心に向き合って、何かと出会い、心が動かされることは間違いないと思います。
あの感覚は舞台だからこそだと味わえるものだし、それを可能にする舞台って本当に素敵だなと、改めてそう思いました。
ミュージカルが好きな人なら、この作品を観て損はない。
これこそ、舞台が、ミュージカルが、人間の想像力が生み出す美しい奇跡です。
もしどこかで「ファインディング・ネバーランド」と出会う機会があったら、
迷わずチケットを買って劇場に足を踏み入れてみてください。
この記事が少しでもその後押しになれば、それほど幸せなことはありません。