No day but today(観劇的な意味で)

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ノートルダムの鐘を語ってみるvol.5 飯田達郎カジモド千秋楽

 

東京楽にあたり最後に書くのは、、もうこの方しかいないでしょう。

飯田達郎さん。

海宝くんがノートルダムを離れたときに私も一緒にこの作品から離れなかったのは、

完全にたつろーカジの存在があったから。

 

ブログだから基本的に全部本音で書きます。

 

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開幕から半年間、定期的に同じ役の進化を見届けたのは私にとって初めての経験でした。

正直ここまでの変化があるものなのか…!?と驚いた。

こればかりは観ている側の感じ方と記憶がすべてなので実際そうだったのか断言はできないけど、、

目指したいものやカジモドを演じることで描く世界観の大枠は変わらないけど、役へのアプローチというか役作りはだいぶ変化したように思う。

そしてその変化の境は、今思うと海宝カジとW→田中カジとWになってからのあたりだったような。

前半では比較的「男」が強く、ごく普通の人間方向だったけど、

後半はとにかく純粋で屈託のない幼い子どものような状態から短期間で多くの経験をし成長する方向へ。

(たなカジが前半のたつろーカジの男感をさらに極めた方向性のように感じるので、あえてそこから離したのかなという気も。

結果、海宝カジとは別方向の純粋さにたつろーカジなりの明確な答えが出たように思います。

まあこればかりは本人のみぞ知る、ですね。)

 

 

たつろーカジモドの千秋楽、ノートルダムの鐘東京公演前楽が、my楽となりました。

あの場にいて、あの空気を感じられて本当に良かった。

あれほどの素晴らしいカジモドに到達したたつろーさん。

彼のカジモドで締めることができて良かったし、心からの賞賛の気持ちを込めて拍手をおくることができて、本当に良かったと思います。

 

初めは正直開幕から支えて来たたつろーカジが楽にでないとは何を考えているんだ…と思ったけど、

劇場が揺れるような拍手を聞いて、カンパニーも客席もたつろーカジを讃える気持ちで包まれているのを感じたら、

これはたった1人千秋楽を迎えるからこそ与えられた素晴らしい時間だったんだなと感じました。

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この記事では千秋楽の感想を。。

実はmy楽にしてたつろーカジの芝居を観たことで急に繋がった解釈がありまして。

♪天国の光 の「愛に満ちたあの光に」でそっと天を仰ぐように両手を遠く前に差し出していたたつろーカジ、

♪奇跡もとめて の「愛に満ちたあの光に」でも同じように、下手階段上から両手をエスメたちの方に差し出していました。

前者は微笑みを浮かべ、幸せそうな憧れの表情、後者では叶わぬ憧れを目の当たりにした悲しみと孤独、同じ歌詞でもあまりにも大きな差。

頭では認識していたはずだけど、初めてここで同じ歌詞を歌っていることにはっきりと気がつきました。

 

そしてさらに、、まったく同じ”両手を差し出す仕草”をしているところがもう1箇所。

フィナーレ、エスメの亡骸を前にフロリカのソロが響くとき、たつろーカジはフロリカに向かって両手を伸ばすのです。

あの包み込むような美しいフロリカの歌声はまさにカジモドが求め続けた「愛に満ちた光」なのだと私は思いました。

それは、カジモドが自らの手でフロローを殺害し、エスメラルダも死に、その魂が離れていくまさにその瞬間。カジモドが全ての愛を失ったとき。

あの美しいソロにはずっと特別なものを感じていたけれど、それが何故なのか、はっきりした答えは出ないままでした。

最後の最後でこんなにも美しい1つの答えに到達させてくれたたつろーカジの演技に心からの感謝を。

でもこう思えたのは、小川フロリカの必死にカジモドに届けようと歌う姿、平木フロリカの微笑みながら子守唄のように歌いかける姿、

「あのフロリカのソロを聴きながらなんとも言葉にできない気持ちになる」という海宝くんの言葉、すべての蓄積があったからだろうなぁ。

東京公演の集大成としてとても素敵な気づきでした。

 

そして話は戻りますが、、たつろーカジ、陽ざしの中への時点であぁ今日は明らかに違うなと思った。

「僕のサンクチュアリー」でそっと床に触れるカジモド。

あの場所が嫌いなわけじゃない。彼が生きる場所。石の友達がいる場所。でもとても狭くて小さい。 そこから「石の壁に隠れたままでと」と歌い出し、その世界はどんどん広がっていく。

まさに想いがそのまま言葉に乗っている、そんな歌唱でした。

「夢が叶うなら〜」からの目のきらめき、心に溢れる憧れ、思い浮かべ口にしているだけで幸せに溢れている様子、

こんなにも心がそのまま歌になったたつろーカジの陽ざしの中へ、初めてでした。

ラストのロングトーンもいつにも増して力強く長かった。

(海宝カジの解釈が大好きですが、ここまで全力で希望と憧れに舵を取られるとこれはこれでグッとくる。)

 

あれだけ希望いっぱいで出て行っただけに辛い。

しかもたつろーカジの場合、「普通の暮らし」を求めていたというより、ただ憧れの外の世界に行きたかったように思うので。。

(個人的にたなカジは普通の人のように普通に暮らすことを夢見ていたように思う。)

 

世界の頂上で、最初に触れられたときの上手く話せない感じと、テンション上がるにつれてどんどん饒舌になる感じ、カジモドのはしゃぎっぷりが伝わります。

自分の手を取ってくれたエスメラルダの手を、大切そうに包み込むの、好き。

そしてガーゴイルたちが歌い始めたことに驚くたつろーカジ。

今まで他の人(フロロー)がいるときにガーゴイルが話したことはないだろうから初めてだったんだよね。

ガーゴイルたちに応援され、勢いで「エスメラルダ!」と名前を呼んでしまった後、迷い戸惑いからの素直に自分の想いを伝えるのが良い。

楽は涙が浮かんでいました。幸せの涙。

目の前には笑顔のエスメラルダ、周りには暖かい眼差しで祝福するガーゴイルたち、なんて幸せな世界の頂上。

 

たつろーカジの♪天国の光 も大好きでした。

絢香ガーゴイルの「あれは違う。」「そーだね。。(´・ω・`)」のやりとりが本当に可愛くて。

2人とも舞台下に街並みを"見る"演技が上手いので、自然とその場所の高さが感じられるのよね。

「この顔に触れたんだ」と下のガーゴイルたちに歌い掛けるところもたつろーカジの好きポイントでした。これも中盤からやるようになったんだよなぁ。

 

あとはとにかく♪石になろう !!

まずガーゴイルたちの気迫が尋常ではなかった。

そんなガーゴイルに対するたつろーカジはいつも以上に力がこもっていて。

はじめはむしろ淡々と落ち着いているようなトーンで、

でもガーゴイルに話しかけられるうちにどんどん内に渦巻いていた感情が溢れ出し、嘆きと怒りが口からとめどなく出ていく。

以前はもっと子どもが暴れるような怒りに近く感じたけど、少し大人になったような。

外に怒りを溢れさせながらも、同時に自分にもその想いが向いている、そんな感じでした。

そして感情の持って行きかただけでなく、歌が完璧だった。

「1人にしてくれよ」も「こころー」もギリギリで絞り出すような歌唱ではなくばっちり出ていた。 声量も音域も。

たつろーさんの強みである声の太さが生きたまま、どの音域も力強く出せるようになった。本当によくぞここまで。。

 

いつも全力の絶叫だと定評のある「サンクチュアリー!聖域だ!」

凄かった。カジモドのこの叫びは街中に轟いたんだろうな。。と確信しました。

 

あと印象的だった最後の語り。

ずっとたつろーカジは比較的想いを込めて話すなぁという印象だったんだけど、

最後の最後に今までと違って、少し離れて客観性を持つ語りだったように思う。

なぜだろう。12月から2週間と空けることなく演じ続けたカジモドからしばらく離れるからだろうか。

個人的に達郎さんのカジモドの作り方は、

「徹底的にカジモドに寄り添い、その人生を生き抜くことで、その全てをリアリティを持って表現しようとする」タイプだと感じていたので、最後に想いがこもるのも納得だったのよね。

 

本編が終わり、カテコで印象的だったのは、下手に戻るたつろーカジがはけ際に床トン(陽ざしの中へ前にやるやつ)やったこと!

「僕のサンクチュアリー」とつぶやきながら床に触れるのはたつろーカジオリジナル(という認識)だけど、

あの触れかたや微笑みに、たつろーカジ独自のあの場所への想いが込められていてとても好きな仕草だったので嬉しかった!

 

 

だいぶ長くなりそうなので、開幕から千秋楽以前のたつろーカジモドについてのことはまた別の記事で書きたいと思います。

 

ちなみにこれだけ書いておきながら、私が1番好きなカジモドは海宝カジモドです。こればかりは決して揺るがないと思う。

もう優劣とかじゃなくて。とにかくすべての作りと表現手法が好きなので他の人と比較してはいけないと思っている。

 

でもね、たつろーカジに出会えたこともまたとても嬉しいことなのです。

初期から演技の組み立て方には好感を持てたし、特にフロローとの関係、歪んでいてもそこに親子のような情があったという作りは興味深かった。

ただ初期はどうしても歌唱面で歌いこなせていない、不安定な部分が目立ち、演じたいゴールに技術が追いつかない印象がぬぐえませんでした。

でも演じ続けるって凄い。役作りは深まり、どんどん裏付けが出来ていき、ついには技術も追いついた。

海宝くんとはまた違う、でも存在感のあるたつろーカジモドが確立されたのです。

2人のカジモドは全然違います。性格も思考も。

だけど不思議なことにこの2人が根っこにしている世界や作品の空気は共通している。私はそう感じる。

だからこそ私は海宝カジが抜けたあとも、同じ世界で己のカジモドを描き出そうと奮闘するたつろーカジの行く末を見守りたくなったのです。

あのタイミングでこの大好きな作品から距離をおかなくて本当に良かったと今は思います。

そして今後も、達郎さんにはもっと彼のカジモドを極めて欲しいとも。

京都、横浜、さらに進化するたつろーカジを心から楽しみにしています。

12月から半年以上、ノートルダムの鐘を支えてくれて本当にありがとうございました。 

 

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