さて、TENTH1週目感想シリーズ第3弾。
にして1番書きたかったやつ。
そうです。今回この公演に私が異様なまでの執着をみせ、1週目に通った最大の理由は他ならぬ
「海宝ゲイブが実現したから」です。
海宝直人という俳優とゲイブという役が出会ってしまった。
私にとってこれは大事件でした。
もともと個人的に大好きだったN2Nのゲイブという役、
そして絶対この役が似合うであろう確信のある海宝くんという俳優さん。
配役がほぼ確定な形で発表された8月末のあの日、喜びと興奮のあまり謎の声を上げながら自室を徘徊した怪しすぎる記憶があります。
最高だろうな…!と高まりまくった期待を彼はやすやすと超えてきました。
あまりに毎度さらりと超えてくるのでそろそろ自分の想像力が乏しすぎるのではないかと疑い始める。
前記事でも書いたけど、そもそもダイジェスト公演でこんなガチな作品にしてくるとは全く思っていなかったわけですよ。
だってゲイブ役者が初日1週間前くらいまで別作品(3人ミュージカル)で2役演じてるんですよ?
楽のご挨拶で発覚した事実としては、ゲイブ稽古期間4日だったっていうんですよ!?嘘やん…
(村井くん教えてくれてありがとう。。)
ネタバレ?超します。ご注意ください⚠️
核心に触れずにゲイブを語るのは私には無理です。
そしてこの役、この作品は解釈の幅がとても広いと思います。
矛盾もあるかもしれないし、制作の意図するところでないかもしれない。
あくまで私の感じたこと、考えが落ち着いた結論です。
あと今さらにもほどがありますが私は海宝直人さんに対して超盲目です。
もはやいつものことですがまた長くなりそうだったので前編後編に分けました。
前編では、海宝直人×ゲイブがハマりすぎた理由(主観)。
後編では、8日間で魅せた2パターンのゲイブ(予定)。
でお送りします。
そもそもなんでこんなに海宝ゲイブにハマったのか。
それはゲイブという役に必要な力を海宝くんがあまりにもばっちり持ち合わせていたからだと思うんですよね。
私が思う、ゲイブを演じる役者に大事な2つの能力。
ある意味繋がるところは1つかもしれません。
①多彩な楽曲を歌いこなし、聴かせる歌唱力
ゲイブに限らずですが、この作品はとにかく楽曲が多彩。
それはある意味、人間の精神状態の幅を感じさせるものでもあるように思います。
穏やかだったりジェットコースターのようだったり緩やかに波があったり。。
このダイジェスト版で、コーラス的な曲を抜いたとしてもゲイブが歌うのは10曲!
家族の1員として綺麗に混ざり合い、声を重ねるJust Another Dayの4重唱、
ダンと対等にぶつかり合い、ダイアナに甘く優しく語りかけるI Am The Oneの3重唱、
同等かつ綺麗にナタリーと重ならなくてはいけないSuperboy and the Invisible Girlのデュエット、
劇場を支配する生命力と躍動感に溢れた迫力のソロI'm Alive、
ダイアナを誘い出すようなCatch Me I'm Falling、
切なく寂しく甘く美しいソロThere's A World、
姿を消したかのように見えたゲイブの異質な存在感際立つAftershocks、
リプライズをいかに活かせるかが大きな鍵になるI'm Alive (Reprise)、
ダンに静かに迫りそしてついにその存在を認めさせるI Am The One (Reprise)、
どこか寂しげだけど晴れやかでその先を感じさせるLight。
ゲイブに関して、求められるのはこれらを「曲として歌いこなせる」だけではなくて、そこから先の表現でどう「ゲイブという役を形作っていけるか」だと思うんですよね。
どの作品でももちろん求められることではあるだろうけど。
あくまで主観ですが、ミュージカルには
1.その曲をシンプルに歌うだけで役の感情、役全体のシルエットが浮かび上がるように出来ている楽曲(ワイルドホーンとかは割とこっちだと思う)、と
2.美しい楽曲だけどただ歌うだけでは役が伝わらないのでそこから先の役者の力が必須な(ある意味役者次第で一気に役の魅力を増大させられる)楽曲
の2種類があるように思っていて、私はN2Nなんかは後者だと考えています。
ゲイブという役は特殊です。
当たり前に溶け込んで家族の1員としてバランスを取りつつ存在を表現する場面もあれば、
「生きていない」のに誰よりも生命力に溢れる印象を与える必要がある場面もある。
かと思えば死をつかさどる天使かのように静かで冷え切った存在であることも、
劇場を支配するような圧倒的なオーラで空気を変える必要がある時もあります。
歌で。
そして、その全てが1人の「ゲイブ」という存在でなくてはならないのです。
もちろん芝居も大きい部分を占めますが、この作品の多くは歌で進行するので、歌で表現できる幅が広くないと役の厚みが出てこない。
むちゃくちゃ難しい役だと思います。
海宝くんの歌が上手い、それは周知の事実だ(と思っている)けど、
純粋な歌唱力の高さ、そしてそこからの表現力が素晴らしい人はもちろんたくさんいます。
じゃあなぜ、海宝くん×ゲイブが最強だったかと言えば、
- 人と声を重ねるのがむちゃくちゃ上手い
音程の確かさもですし相手の声を聴いてコントロール出来るんですかね。。
前からだけどデュエットやトリオ、カルテットでの、自分の声を残しながらマイルドに全体をまとめる力が凄いなと思います…どうしたらそうなるのかメカニズムはよく分からん。
- パワフルで生命力溢れたロック歌唱が出来る
I Am The OneやI'm Aliveをガツンと力強く聴かせてくれるのはとっても大事。
歌唱自体に一切不安を抱かせず、クラシカルさを残さず、でも滑舌が良くて聴き取りやすい歌唱。最高。
海宝くんはCYANOTYPEというバンドのメンバーでもうすぐメジャーデビューCDも出るわけですが(宣伝するなww)、バンドの時のような歌い方を使ってくるかと思いきや、全体的にそうでもなかったのが印象的でした。
やはりミュージカルだと別物なのか。
でも唯一ちょっとぽいなと思ったのはLightのソロでした。
♪夜が明けていくなぜこんなに長く彷徨っていたのか不思議だ のところ。
- 繊細な高音が連続する楽曲の声色が奇跡
There's A Worldがその最たる曲かなと思いますが、Catch Me I'm FallingやI'm Alive (Reprise)、I Am The One (Reprise)の出だしもですね。
今まで曲中で一瞬通過することがあって、部分的には聴いたことがあるような声色だったんですが、
全編この声で歌うと恐ろしいことになるな…と寒気がしました。
スパーンと歌える伸びやかで心地良い歌声が強みだと思っていたけど、ある意味この辺りの歌声の方が希少価値がある、破壊力の高い武器なんじゃないか。。
何より完璧なコントロール下にあるので全くブレないし、柔らかく繊細だけど、元がしっかり広い気道を確保した上で細く出しているので、安定感があるんですよね。
どうしてもしっくりくる言葉が見つからないんだけど、ここまでの繊細で美しく純度の高い男性の柔らかく切ない歌声に出会ったことがなかった。
この歌声をしっかり曲として聴けるナンバーが揃っているというのもゲイブという役の大きな魅力です。
さらには海宝くんの歌声って、どんな音域や楽曲タイプであっても、
太い声でも決して「野太い」と感じない、そしてどこか切なさや哀愁を帯びた声質だなと思っていて、
それがまた常に役に深みを与えているように感じるし、ゲイブという役においては実に効果的だったなと思うのです。
②舞台上で己の存在を自在にコントロールする力
これな。とにかくこれな。
なんなんだろう、なんでこんなこと出来るんだろう。。
テクニック的なことなのか?いやでも天性の感覚があるんじゃないだろうか…と思わずにはいられない。
少し長く語りますが、
役者さんにはいろんなタイプがいます。
どこにいても目を引く、いわゆる「華がある」と言われる理屈じゃないタイプ。
特に舞台においては素晴らしい才能で、 中でも宝塚なんかの存在重視系舞台ではまあ重宝されます。
ただ役によっては本人が意図せず「いかなる場合でも目立ってしまう」ことが必ずしも望ましくない場合がある。
一方、どんなにスキルが高く素敵なパフォーマンスをする役者さんでも、圧倒的なオーラや視線を集める力がない人もいる。それでも努力と実力で主役やセンターを勝ち取る人ももちろんいる。
それってある程度生まれ持ったものなのかなと私はずっと思っていました。
でも舞台に立つ海宝直人という役者に出会って、好きになって、観劇を重ねるとあれ?と思ったんですよね。
この人存在感や目立つタイミングがコントロール出来るのか…?って。
ファンになったからかもしれない。贔屓目なのかもしれない。
でも「あくまで舞台の人々の中の一員としてそこに溶け込むとき」と「目立つべきタイミングに強い存在感を放ち舞台の中心になるとき」であまりに違う。
照明や演出の効果はもちろんあるでしょうけど、本人の存在感がやっぱり違う。
さらに衝撃的だったのが『ノートルダムの鐘』のカジモド役。
この役は冒頭で俳優からカジモドという役へ、そしてラストでカジモドから俳優へと舞台上で変化をするシーンがあります。
それも大きな変化では墨を塗る、落とす、という行為だけで。
これまた劇場で体験しなければ分からない感覚だと思いますが、この変化が海宝くんは実に見事で、己の目を疑いたくなるような出来事なのです。
目の前で、人がまったく違う人へと変化を遂げる、「演技」という言葉では表現できないような、あまりに鮮やかで明確な変化にもうどうしていいか分からなくなる。
いやどうもしなくていいんだけどね。
そんなこんなで、
存在感の押し引きが自在っぽい…
同じ役内だけではなく、別人への移行も自在っぽい…
までは気づいていたんです。一応。そこが凄いなとも思っていたんです。
でもな。。奴はまだ隠し持っていた。
そうです、「生と死までもがコントロール下にあった」
ごめんなさい、ちょっと格好良く言ったw
要するに、「生命力に満ちた青年」から一瞬にして「存在しながらも生きていない」と認識させることが出来る力も彼は持っていた。
何度も書いていますがN2Nのゲイブは割と特殊な役です。
彼は舞台上に17歳の青年の姿で現れ、話し、歌い、ちょろっと踊ったりもします。
でも、彼はこの世に生きていないのです。
存在のさじ加減であらゆる見え方が変わる、そしてゲイブのあり方が変わればN2Nという作品全体の見え方も変わる。そんな役です。
だからこそ、観客に「今気配が消えた…」とか「感じる生命力がふっと薄れた…」とか「存在が濃くなってる…」とかそう感じさせることができる、
それをおそらく本人がコントロール出来るっていうのは恐ろしいまでの強みだし、
そこが自在ということはこの役をいくらでも深める余地があるということだと思います。
実際、この8日間という公演期間でも明らかにゲイブが変わったと感じるタイミングがあったんですが、、
2パターンのゲイブ像について具体的な感想及び解釈については後編で書く。
すみません、良ければぜひ後編もお付き合いください…!!