No day but today

ミュージカル関連をディープかつマニアックに語りたいがために作ったブログです。普段はTwitterでわっしょいしてます→@musicalamnos

海宝カジモドin京都 2幕詳細

2幕に続きます。

まだの方は1幕からどうぞ!総括もあるよ!

 

a-syamu.hatenablog.com

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エジプトへの逃避

クワイヤの余韻に一瞬浸るも、カジモドのうろつく姿に1幕ラストからの繋がりを感じてすぐに気持ちが戻ります。(私が)

1幕ラストと2幕頭がしっかり繋がっているのに、オケの間奏曲ではなくてクワイヤの立派な1シーンが挟まれるって少しチャレンジングですよね。

とてもナチュラルで違和感覚えたことないけど。

 

階段を登りながらのエスメの声は聞こえていなくて、気配を感じたのかふと振り向いて姿を見て、「エスメラルダ!」と驚いている。

喜びから一転、「なんでこいつがここに!」の怒気がすごい。♪エスメラルダでフィーバスの行為を見ていたのを知ったことでこの怒りの説得力が増しました。

この一瞬の荒さにも、カジモドが相当なパワーを持っていることがなんとなく感じられる。

エスメは魔除けを渡した後に「これはね、」って説明をしようとするけど時間がなくて…という流れがあるので分かりやすい。

一瞬迷って、でもカジモドなら大丈夫と託して去っていく。

ガーゴイルたちへの反応からして、エスメを引き止めてここに匿うとか、もう1度外に出る気は全然なかったんだろうなと思うんだよな。。

 

アフロディージアスの話を聞く姿、姿を現したときには全然驚いていないんだけど、

首を戻してるときには(おおおぉぉ)ってなってるし、

また落ちたときにはあわわわって口元に手がいくし最高に可愛い。

あと聖なるご家族を送り届けた、マリア様を守り通した、とかのフロローに教わった話には、

(うんうん、そうだ、知ってる)っていうように頷いて聞いてる姿が可愛い。

とにかく聞く姿が可愛い。(結論)

「そうか!分かった!」「地図だ!地図だ!」と目を輝かせて、分かったよ!と嬉しそうに周りに言うカジモドも、とても優しい顔でうんうんって見守るガーゴイルたちも暖かくて、一瞬希望に満ちてる。

こういう理解の喜びとかもカジモドはそんなに体感してこなかったんじゃないかなとか思います。

「安全な場所に匿って大事に守る花嫁のように」、ここ海宝カジは割と健全なイメージあったんだけど、

18日見上げるような位置から見ていたら、一瞬結構ゾワっとする目をしていて怖かったんですよね。。

どこかフロローに通じてしまわなくもない、危うさを感じる目つき。

でも照明も変わって1人で「いつまーでーもー」と歌うときの小さく丸まった背中と、弱々しいけど細く綺麗に伸びる歌声の物悲しさが一気にカジモドの現実を引き立てる。

 

ここでなんかふと思うのが、人の多面性?というか、複雑さなんですよね。

当たり前のことだけど、人間良い面だけ、邪悪な面だけ持っていることなんてほぼなくて、時やタイミングや相手によって複雑に混ざり合って別人のように見えたりもする。

そうするとますます「人間と怪物どこに違いがあるのだろう」という言葉に答えるのは難しくなる気がします。

 

今の海宝カジは普通に他人と話が出来るので、フロローが去ったあとフィーバスとも普通に話せている。

口元さえ見ていれば返答までにあまり間がなくて、やっぱりこの辺りの人との会話については東京と印象が変わったなと思います。

扉閉めはあまり高さはないけどバシッと閉めてちょっとあわあわ笑

関係はわりと良好気味になったものの海宝カジがお話をねだるのはやっぱり不自然さがあって、フロローが疑いを強めるのも分かる。

嘘をつくところは罪の意識よりはバレてしまったらどうしようという思いの方が強そうな印象です。

やっぱり万寿夫フロローの「腹を立てているわけではない!」は怖い。カジモドも思わずウゥッて声出てるし。

このあとの「夜明けに襲撃しよう」とかもあえてはっきりカジモドが絶対理解出来るように話してるなって分かってゾワっとします…

「ときどき息子のように思う」の言葉が嘘だったとは思わないけど、

ここでカジモドを利用してエスメの居場所を突き止めようとする心にはカジへの思いやりは微塵も感じられなくて。

 

フィーバスとのやり合いはわりと対等な感じ。

魔除けを奪われて、ベンチを振りかぶって「ウーッ!」って睨みつけるんだけど、

ちらっと頭上のベンチを上目遣いで見て、いやこれはダメだ、、って判断して置きに行くところが可愛い。

 

外に出ての「曲がりくねる路地を〜」あたりのソロはなぜかだいぶカジ度薄くて海宝くんのままの声に近い。

東京でもこのソロは潰しが緩かったような気もするんだよなぁ。何か意図があるんだろうか。

ダミーに変わってからは2人も下手側から声が聞こえてきます笑 

奇跡御殿

エスメがフィーバスを助けてからカジモドを助けるまでの時間が結構あることに毎回胸が苦しくなります。

もちろんそれは大事だとか以前に戦力になるのがフィーバスっていうのもあるだろうけど、それまた悲しいよね。。

クロパンに話しかけに行くのも、むしろ誇らしげなくらいの勢いなんだよなぁ。

自分が助けられる、役に立てるってまったく疑いもなく思っているようで。

クロパンに脅しかけられて倒れこんじゃうけど、 その後も状況を逃すまいと必死でみんなの口元を見て話を理解してる。

フィーバスの話を流して近くに来たエスメに話しかけるのは決死の思いで、聖堂に匿って守るっていうのはカジモドにとって唯一のとっておきの思いつきだったんだろうと思う。

フィーバスは僕と一緒に来てくれないなら自分がついて行くって言えるけど、カジモドにはそれができない。

前もここの話をした気はするけど、

「彼女に、ついて行く…?」って繰り返しの響きにはカジモド自身その考えが全然なかったんだろうなと思うと同時に自分にはそれは出来ないと理解している感じがあって切なさがすごい。

カジモドにはそれが出来ないんですよね。醜いから。ただ醜く生まれたから。

 

奇跡求めて

エスメの「今気づいたわ」を見たあたりで早々に察して静かに離れて行くカジ。

布幕のあたりで一旦そっと振り向いてみるのが辛い。

たぶん聞こえてないから振り向いたら何か変わっててくれないだろうかって少しの希望を持ってたんじゃないかと思う。

でもそこには手を取り合ってお互いを見つめる姿があったわけですよ…

それを見て辛そうにうなだれて階段を登っていく姿に半泣き。

(ちなみにここ階段上がる時間なかなか短くないか?)

「僕は醜いから」で陽ざしでフロローに教えられたあの手の動きをしながら一瞬激しい嫌悪感を表に出すカジ。

全然派手に動くわけでも何かをアピールするわけでもなくて、むしろ動きは少ないはずなのに、歌声とその表情から溢れる悲しさ切なさ苦しみ…

そんな感情の全てが波のように客席に押し寄せて身を切られるような思いだったし、 もうカジモドからまったく目を離せなかった。

「僕の愛は報われない」「僕にはない愛の奇跡」

愛が叶わない、それだけじゃなくて愛する人について行ってどこまでも守ってあげることさえも出来ない。

続々と集って寄り添い手を取り合うジプシーたちを見つめる姿を見て、

エスメへの愛だけじゃなくて仲間との助け合い、励まし合いみたいなものにもきっとカジモドは憧れを持っていたんだろうなと思った。

それがどの程度自覚のあったものか無意識かは分からないけど。

たぶんここで改めて自分には「仲間、友人」という存在もないことを突きつけられて傷ついて、

だからこそ石になろうに繋がる部分もあると思うんですよね。

さらにはエスメの「あなたは本当に素敵な友だちよ」という言葉にも。

 

ジプシーたちを見渡したあと「僕の奇跡はどこに」で見つめる先はエスメラルダで、

このシーンはやっぱりエスメへの想いが破れたところがメインではあるけど、同時に恋愛面以外でのカジモドの孤独という部分を感じられたのが印象的だった。

 

万寿夫フロローが優しくなったことで、カジモドが騙されて愛する人を追い詰める結果になったという事実が余計に辛くなりました。残酷すぎる。

あんな状況になってもカジモドが向かう先はフロローなんですよね。。

「ひどくがっかりしたよ!」「2度と出られないようにするんだ」の荒さと冷たさが増していて、なんかもうフロローは何も考えられなくなっているんだなと思う。

自分とエスメラルダ以外のことは考えられなくて、カジモドを傷つけていることにすら気づいていない。

このあと後ろから警備隊(何枠さんだったか失念…)がついて上手側の階段を登って行くのにようやく気付きました。

でも強制される様子はなくてカジモド自らの意思で戻ってるなと。

 

石になろう

凄すぎた。東京から1番大きく違ったのはこのシーンだと思います。

とにかく上手く言語化できないことに悔しさが募る。。

 

東京では絶望ゆえの拒絶。自分の内へと閉じこもって、ガーゴイルたちはその拒絶を受け入れざるをえない。

個人的にそんな印象でした。

それが、京都ではこのシーンでのガーゴイルがカジモドの一部と感じられるようになった。

だいぶ激しく怒りを溢れさせるようになったけど、それがイコールカジモド自身の内部への攻撃となっているというか。

奇跡求めてで自分の孤独を実感したからこそ、自分の味方であり辛さを誤魔化す存在だった「友だち」を自ら切り離そうとしたように感じた。

あえて傷つける言葉を選び、面と向かって彼らを否定して。

その結果どうなるか、海宝カジには分かっていたと思うの。分かっていてあえてその行動を取ってガーゴイルたちを突き放した。

でも「いいよカジモド口出しはやめる」って言葉に手であっち行けってやったあたりから、実際にガーゴイルが離れていき、静寂が訪れ1人になると、辛そうに頭を抱える。

一瞬このまま気が狂うんじゃないかと思ってしまうほど。

そこで一旦現実を、自分の周りを把握して、さらに固く固く心を閉ざす。

その決意がこもったラストの歌い上げは本当にもう言葉がなかったです。

息が止まりそうになるような怒りと絶望の圧と信じられないような声量とそれでいて微塵も崩れない的確な音程。

あれほど凄まじい歌唱でありながら、歌じゃなくてカジモドの心の叫びでしかなかった。

エネルギー量が格段に上がった、と思った。

別に東京が弱かったとかじゃなくて。表現の仕方として外向きへの感情が増えた分、客席に伝わってくる量が必然的に増したというか。伝われ。

 

東京ではもう少しシンプルに表現していたように記憶してる「もうやめてくれ…」とか「君らの言うことを!」とかの溢れんばかりの感情を押し殺したような表現がやばかった。

あとは多分「うんざりだ」あたりででしゃがみこんで床に手を叩きつける姿も印象的でした。

なんかこの辺の表現はマリウスで取り入れた手法な気がする。上手い。

歌唱的にもスキル的な部分がさらに磨かれているなと思うんだよなぁ。

僕は「今日からー⤴︎」涙「忘れー⤴︎」石に「なろう⤴︎」 の矢印部分は結構ビブラートかけてるんだけど、ここ「ろーーー!(最後悲鳴混じり)」閉ざし「てーーーー!」の部分はかけずにそのまままっすぐ出し続ける歌い分けが最高に格好良かった。

救出

途中から下手バルコニーに現れてエスメを見つめているカジモド。

エスメの足元に火がつけられた瞬間、悲鳴のような「エスメラルダァァァ!」という絶叫で再びカジモドの感情が溢れ出る。

自分の足に巻きつくロープを投げ捨てて、再びガーゴイルたちの力を借りる。

海宝カジの悲鳴混じりの「サンクチュアリー!!聖域だあああぁぁ!」がやっぱり大好きでね、、

声量は凄いんだけど野太くはない。劇場中に通る力強く悲痛な声。

東京から声の裏返しはやっていたけど、「聖域だーーー⤴︎⤴︎」とある程度伸ばしてからひっくり返すという確実な技術となってました。。

そこからの揺らぎなさが凄い。

でもその勢いは石になろうとは全くベクトルの違うもので、この劇中でもっとも力強く自信に満ちている。

歌声の洪水に飲まれるような感覚がたまらないし、ガーゴイルたちがとても嬉しそうに

協力しに駆け寄ってくるところがもう。。

まさにこの時間、カジモドは英雄になれた。んだなって思います。振り返れば。

観ている間は全然そんなこと考えられなかったけど。 

鐘楼

それまでの形相が嘘のように柔らかく優しくエスメに声をかけるカジモド。

たぶんこの辺で海カジは急に成長するんです精神が。最後に急にストンときた感覚なので上手く言えないんだけど。。

純粋に助けられた喜びと目の前に大切なエスメラルダがいる嬉しさ、

「ここにいればいいよ永遠に」という響きにも、もうエジプトへの逃避で一瞬感じたゾワっとしたような感じはまるでない。

「あなたは本当に素敵な友だちよ、カジモド」は海宝カジにとっては本当に素直にとても嬉しい言葉だったんじゃないかと私は思う。

エスメへの恋心は奇跡求めてで区切りがついていたんじゃないかと思うし、あのシーンで感じていた孤独、1人もいなかった友だちが初めてできた。

それもとても大切な人からその言葉を言われた。

「あぁ、友だちだ」という響きからは悲しみや辛さを飲み込むようなものはあまり感じられなかった。それがまだ救いだった。一瞬の。

 

登ってきたフロローと会話するカジモドはもうすっかり精神が成長しきった状態のように感じる。もう普通に、同じ高さで会話が成り立ってる。

言われたことをシンプルに信じるカジモドはもういない。

「弱いのはお前だ」は押し殺し気味に、「邪悪なのはお前だっ」は感情を抑えることなく叫び気味に。

背骨を伸ばして、その結果首が変な方向に曲がって、そんな状態で目を剥きながらフロローに手をかけているのに、

その顔はとてもとても哀しそうなんですよ…

なんであの状態で、ある意味とても人間らしく見えるの。。

最後の瞬間にはぎゅっと目をつぶって辛そうにフロローを投げ落とす。

そして投げ落としたフロローの姿を見下ろして、泣き声で「僕の大事な人たちはみんな横たわっている」と。

小さなすすり泣きから徐々に大きくなる泣き声。恐ろしいほど哀しみと絶望に満ちた嗚咽。

あの泣き方はずるい。。心に突き刺さる。。

エスメラルダを抱えて外に出てからも、エスメの体の前でうずくまって体を震わせて泣き続けるんですよ。。

フロリカの歌声の中、祈るように天を仰ぎ、エスメが去っていくとエスメの方へ手を伸ばして。。

(あとようやく墨を落とす現場をしっかり見ましたww茶色のタオルでめっちゃしっかり拭き落としてるww)

ここね、東京の話だけどたつろーカジだとフロリカに手を伸ばしてまるで微笑んでいるように見えて、あるひとつの救いが見えたように感じていたんです。

でも今回の京都海宝カジのこのシーンはまったく救われなかった。私は。

まるでフロリカの歌声の中、天に向かって懺悔しているように思えた。

上手く言えないけど、なんかとても辛かった。

 

そして立ち上がった時には海宝直人に戻っている。相変わらず凄い。

怖いくらい綺麗。もう発光してるんじゃないかレベルに光り輝いてる。顔が。

あまりの違いにやっぱり一瞬、え誰?みたいな驚きがあるんですよね。。

でも東京のときの固く感情を消したような淡々とした語りから、感情の入った語りに変わりました。

まだカジモドを演じた部分を残した状態での語りというか。

話している自分を通してカジモドへのいたわりが感じられるような、カジモドの心に沿った言葉のような感じ。

決して情感たっぷりなんてことはないけど、シンプルな中にもどこか寄り添うような気持ちが感じられる。

衣装を脱いでたたんでクロパンに渡して、やっとただの俳優に戻る。

完全に海宝直人の顔で、再び「人間と怪物どこに違いがあるのだろう」と少し険しい顔で客席に歌いかける。

 


 

 

18日、いつにも増して熱い舞台だったと感じた公演だったんですが、

カテコで海宝くんの表情が緩んでくるまでにいつもよりも時間がかかっていて、あぁ本人もだいぶ持っていかれた公演だったのかなぁなんて思いました。

私としてはラストの語りでうるっと来るもやっぱり泣くまではいかず、今日も泣かない記録更新したなぁ。なんて思っていたんですけど、

カテコが終わって軽く放心状態で椅子に座って、少し時間をおいてよし行くかと立ち上がった瞬間なぜか溢れ出る涙。そして連動して口から出て来る泣き声。

もう自分でもびっくりした。笑

たぶん舞台から受けたものが凄すぎて、観ながらでは消化しきれていなかった感情が溢れ出しちゃったんでしょうね。。

あんな感覚初めてで自分超怪しい人wwって思いながらしばらく涙が止まりませんでした。

理屈じゃなくて心が素直に、それだけ凄いものを受けたんだ!!って叫んでいたみたい。

 

うん、とても良いもの観ました。最高の体験でした。

哀しくて辛くてあまりに救いがない海宝カジモドだけど、私は彼が表現するカジモドと描き出されるノートルダムの鐘の世界が死ぬほど好きです。

これだけ書いて結論はそれ。笑

 

でもほんと東京から変わった部分も大きかったけど、違和感やそれは受け入れられないみたいなのは微塵もなかったんです。

もはや盲目的になっている部分もだいぶあるのかもしれないけど、

海宝くん自身のこの作品に対する想いの軸がブレない限り、私はどんなカジモドでも好きだよ!(突然のフィーバス)なんだろうと思います。

この作品はチケット取るの本当に大変だけど、、これからも海宝カジモドをずっと観ていきたい。

改めてそんな決意を固めた遠征でした。

 

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海宝カジモドin京都 1幕詳細

さてさて、昨日の総括↓

a-syamu.hatenablog.com 

に続きまして、こちらはとにかく細いレポ。

というか覚え書きですね。

未来の私が読み返して楽しむことを想定して書き殴っています。笑

ひたすらカジモドに特化したマニアックな感想ですが、よろしければお付き合いください!

観劇日:9月15日S、16日S、17日M、18日M

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それにしても出演が半年以上空いているとは思えない熱量でした。

作品やカンパニー自体もその間続いて成長し続けているのに、遅れをとるどころかむしろ牽引するくらいの素晴らしいパワー。

出ていない間も色々考察して、研究して、海宝くんのカジモドを深め続けていて、やっと舞台の上で表現できたんだな。この役が大好きなんだろうなとひしひしと感じました。

そんなカジモドを客席で見つめ、歌声を浴び、その想いをぶつけられる幸せたるや!

 

ノートルダムの鐘

18日やっとマント脱ぎ捨てるのが見える席だったけど結構手間取ってあまり軽やかに脱げず。笑

周囲を見回しながら前方に歩いてくる表情は少し硬く、口もクッと結んでいる。

そして本当に一瞬の変身。

人が存在を変えるのを目の当たりにすることってなかなかないですが、

何度観てもこの作品のこの演出(最後も合わせて)は秀逸。

まさに生の舞台、その時間と空間を共有する舞台ならではの醍醐味だなと思います。

個人的には海宝くんの姿が見えた瞬間、凄い勢いでバクバクしていた心臓が、

カジモドになって振り向いた途端しずかになるのでほんとびっくりします。

頭で理解してるのに本能レベルで別人と認識するみたい。色々怖い。

 

髪が短めなこともあり、ボサボサ度が高い。たまに不思議な方向にヒョコッとなっててそこもまた可愛い。

鐘を鳴らすためのロープ引っ張りは目に見えて高くまで上がるように。

これは別に海宝くんの力じゃなくてスタッフさんの力加減かと思いますが←

決めポーズの時の迫力というか存在感がすごい。

プロローグで下地が作られ、引き込まれた観客の気持ちが1度ぐわっと高まる。

そこに恐ろしいまでの存在感を放つカジモド。

あぁこの男の話が始まるんだと肌に感じる空気で思い知らされます。

個人的にはレミゼのバルジャンが歌い上げ、仮出獄許可書を破り捨てるプロローグのラストと少し似たものを感じる。

陽ざしの中へ

鐘たちへの呼びかけ。

18日はセリフをちょいミス。「いいよ続けてガブリエル」→「いいよガブリエル、続けて」

聞き慣れているので一瞬あれっと思ったけど当然本人は普段通りに続けるのでこちらも特に集中が途切れることはなく。

ガーゴイルたちとの会話もこの時点で東京の頃よりも明るい気がする。

いつもの朝、鳥と戯れて、鐘を綺麗にして、床を綺麗にして。

むしろガーゴイルに囲まれて楽しそうに笑っている姿が印象的でした。

「抜け出す!」も一緒にはっきりと声を出して楽しそうに。

 

フロローに声をかけられたとき、以前は一気に空気が暗く冷たく凍るような感覚でしたが、

ただ驚いて口をつぐんでいるくらいの感じ。

この変化は万寿夫フロローが大きく変わったことが要因の1つかなと思います。

どちらが先なのかは分からないけど厳しく冷たい面の強かったフロローから明らかに愛情を見せる芝フロロー方向に近くなった。

カジも答えながら(これ否定される…)って思っている様子がある。

何度そのやりとりをしても実際カジはガーゴイルたちと会話をしているから、問い詰められると事実を答えるしか選択肢がないんだろうなと。

それこそ2幕のエスメを守るときに初めて彼は「嘘をついた」わけだし。

それにしてもこんなに普通に会話していたかなと思うくらい自然。

口元を見ていればほぼ問題なく読み取って通常のテンポでやりとりが出来るんだろうなと思います。

石像の話も、カジが目を輝かせて近寄っていて、この時間を望み、楽しんでいる様子が見られる。

「逃げた!」で指をトコトコさせるのがむっちゃ可愛い。

フロローもカジがきちんと話を覚えてることに良い子だというように満足気な様子だし、「アフロディージアス」も途中まで言えていてハラハラしている感じが伝わります。

これは以前からだけど万寿夫フロローは手で口の動きを示す(?)ことで理論的に教えようとしているのが印象的。

 

下をご覧と言われたカジは笑みを浮かべながら街を覗き込む。色々見てはニコニコして。

日々こうやって楽しそうだなぁ良いなぁって笑顔で見下ろしているんだろうなぁと思う表情が、「今年で最後」と言われて一変する。

とてもショックを受けて、それまで以上に深く乗り出して、悲しそうな困惑した様子でじっと見つめて。

外の世界を望みながらも同時にそれを諦めていたというか、実際に出るつもりはなかったであろうカジの中に大きな変化がここで起こったことがその表情から伝わる。

もう行けなくなってしまう、なんとかしなくちゃと思ってのお供の提案で、

フロローも「アフロディージアス?」とそんなことを言い出したことに笑ってる。

言葉を覚えられないことじゃなく。

その後の言い聞かせ、万寿夫フロローも愛情が見えるというか本当に無駄に傷ついて欲しくないという思いがあってはっきり理解させているだけでそこに悪意は感じられない。

カジもじっと耳を傾け、「醜い」「気持ち悪い」と動きを繰り返しながらつぶやく。

フロローが自分を保護してくれる存在だと認識して一定の信頼を置いているからの反応だなと思います。

ここがすでに東京のときとは大きく印象の変わる部分。

カジモドとフロローの間にある程度の信頼関係、好意が見える。

 

でもフロローは「言う通りにここにいろ」と残して下へ。

1人になったカジがまとう寂しげな孤独なオーラに、これこれ…!となる孤独なカジ好きオタです。

歌い出しまでの間に自分に言い聞かせるかのように、理解させるかのように小さく周囲を見渡してうなずいて「僕の、サンクチュアリー」とつぶやく。

そこに明るい響きはない。

安全な聖域、でも実際石の壁に囲まれてたった1人街を見下ろしている。

この曲に限らずあまりセリフ調にせず楽曲として歌いながら言葉を乗せて伝えてくる印象です。

自分を囲む石の壁から、外の世界に目をやり、心を踊らせ、やっぱり自分は外に行きたいと楽曲に合わせて広がって行く気持ち。

憧れや望みを歌いながら、その一方にカジモドがいる現実、孤独があって、それが反対方向にある分深みを感じるのが好き。

やっぱり海宝カジの陽ざしの中へ は、決して明るく希望に満ち溢れただけの曲にならない。

曲中なんども光に手を伸ばしては、もう少しでまっすぐ伸びるというところで眩しさに耐えきれないように手を引っ込めてしまう、って流れがある。

個人的にはやっぱりこれが1番端的にカジモドを表現しているように感じるので、ここがとても好きだし、京都でも変わらなかったことにホッとしました。

それにしてもこの曲ラストのロングトーンを初日に聴いた瞬間に、あ、これ凄いかも…と思った。

いや東京の頃やコンサートでも聴いていてロングトーン凄かったけど、なんというか圧?

カジモドの決意の力強さ、重さが乗っているかのような圧が押し寄せてきて、涙ぐみながらうなずきたくなるような感覚。

歌唱もだけど役の想いがダイレクトに胸に突っ込んでくるような重さがありました。

 

15日のみ拍手がおさまりかけの後ろにはけて行くタイミングで「ヒャッハー!」とマリオばりの声をあげたのでどうした!?って思ったけど1日だけでした。笑

なんだったんだあれはww 

トプシーターヴィー

たぶん東京の頃このシーンのカジモドあまり見ていなかったようで、

は?可愛い。え?こんな可愛いのここ。は?と新鮮な感動に包まれました。

今回は全回下手寄りからの観劇だったこともあって近いのよ。。

すっごく楽しそうで、目を輝かせて周りを見ては、顔を出していることに気づいてダメだダメだってフードに隠れるを繰り返してるんだけど、何度でも言いたい。可愛い。

エスメ登場で一瞬驚きで身を後ろに引いて、でもすぐ乗り出して少し前方に進み出て、夢中で見てるの死ぬほど可愛いし、

たまにフードから顔がのぞいてキラキラの目が見えるのがたまらない。

そのあともエスメが近くにくると顔隠して身を引いちゃうけど、

それまでカジモドの目に映っていた初めて近くで見る街よりも、

エスメラルダの存在がはるかに魅力的だったことがその反応からもはっきりと分かる。

「目が奪われる」ってまさにこういうことなんだなって。

三重唱ではもう歌声がビリビリ。高めの音が続きますが、まさにカジモドの高揚した想いが反映されたようなメロディだよなぁ。

ため息をつくような「天使だ」、

最終日は目の前だったので「誰な⤴︎んだーーー!!」がビリビリ来て幸せでした。。

 

王様選びの時もほんと可愛くて、口元を手で隠して笑ったり、手を叩いて喜んだり、めっちゃ楽しんでいる。 

顔を見て一瞬悲鳴をあげられてすぐに顔を隠しているのになんで出ちゃったかなと思ったりしたけど。。

たぶんエスメに手を差し出されて何も考えられなかったのもあるとはいえ、

顔を見て悲鳴をあげたけどそれで危害を加えるわけでなく、すぐに普通に声をかけて手を差し伸べてくれたことで、自分の醜さに人がどう反応するかということは分からなかったんだよねきっと。

顔を入れてどよめきが起こってやんや言われた後も不安げな顔はしているものの恐れはあまり感じられないし、女1枠3枠にキスされてからは笑顔でむしろ楽しそう。

ステップを真似して、エスメにステッキみたいなのもらって無邪気に。

だからトマトを投げつけられて、群衆が豹変したところで、カジモドは一気にショックと恐怖に突き落とされる。

彼からしたらまさに地獄へ突き落とされたような感覚だったんだろうなと思う。

みんな笑っていたのにいきなり人が変わったように嘲り敵意を向けて暴力を振るわれて。

エスメにさえ怯える姿も、差し出された水を器を持つこともできず口をつけて飲む姿も、そんな状況でさえフロローに教えられたお礼をいうことは守る姿も、心に突き刺さる。

舞台前で小さくなっているところに男1枠に脅されてもう横に転がっちゃってるのもキツイし、何よりフロローに抱きつこうとして避けられるところですよね。。

避けられることを全く想定せず、やっと安心できる人、守ってくれる人と思っていた人に思いっきり向かっていった結果、ビターンと大きな音が出るほどの勢いで地面に倒れる。

地面に伏せたまましばらく動けず、背中を震わせて泣いている姿は忘れられません…

フィーバスに対しても顔を見ることもなく触るな!と言わんばかりに王冠を押し付けて戻っていく。

世界の頂上で

God Helpの最後の方でエスメの姿を見つけ、ずっと眺めているカジ。

フィーバスとのやりとりにハラハラあわあわしているのが可愛い。

身を乗り出しすぎた結果、手をかけていたところからつんのめっちゃって音を立てる、という流れになってました。

 

手をかけられてビクッと焦りはするけどカジとしても見つかることは多少予想していたわけで、

話しかけられてすぐに言葉は出るんですよね。

以前はもうちょっと始めたどたどしかった気がするけど、声の出し方や潰し具合もだいぶ変わっているのでその辺は結構違うかなぁ。

ガーゴイルの話あたりからはもうだいぶスムーズに会話を出来ているし嬉しそう。

エスメの顔をしっかり見ているので「怖いとこダメなの」って言葉にもすぐ対応できるんだね。

そのあとのエスメソロで、手すりの低い段に乗ったり降りたりしながらちょっとずつ距離を縮める海宝カジ可愛い。

結構しっかりエスメの顔見ていて、エスメと目があっても(えへへ良いでしょ?)って感じでちょっと照れたように笑いつつもしっかり見てくるww

バランス崩したフリで驚かせるところ、声をあげたエスメの方を見てとっても可笑しそうに笑って、落ちないよ〜というかのように手を横に振ってみせる。

ここの悪戯っぽい表情ほんと可愛かったな。。

そのあとの手の差し出し方が、一瞬止まって自分の服で手をゴシゴシしてからとても体勢を低くして下から覗き込むように手を出すんですよ。

あの瞬間はほんとまるでごく普通の無邪気な男の子のように見えて。とても可愛かった。

話しかけろ!とけしかけてくるガーゴイルたちにやめろって!っていうように左手をぶんぶん振ってるのも好き。

下手前方の弊害としてはやっぱり「冬は寒い」のあたりとかラストの話しかける様子が全然見えないというところなんですよね。。うーん上手も座りたかったなぁ(>_<)

 

テンション上がりきって鐘鳴らしちゃうし、知ってることを教えてあげるんだ!って鉛のことを興奮気味に話すカジ。

フロローの「カジモドー!」も聞こえていないようで、エスメに向けて振り返ったつもりがフロローの姿があってびっくりしてる。

ここに限らず、聞こえていない部分はとことん聞いていないのが分かって凄いんだよなぁ。

エスメが去ったあとのやりとりも、今の万寿夫フロローだとそれまでカジに手をあげたことはなかったんじゃないかなと感じる。

突然顔を叩かれて、すごくびっくりしてるし怯えて小さくなってる。

その1回目の怯えがあるからこそ「約束しろ!」の怒鳴り声に条件反射のように「約束します!」と心の伴わない約束をしています。 

天国の光

絢香ガーゴイルがいると、この冒頭の可愛さが増し増しで和みますね。。

難しい顔で街を覗きこんで、カジが行っちゃってることに慌ててトテトテ走っていくのとても可愛いです。。

アダルト風味な酒場と、執念と歪んだ感情で燃え盛る地獄の炎の間にこの曲があるので余計にカジモドやガーゴイルたちの世界というか雰囲気の違いが引き立つ。

特に「天国の光」と「地獄の炎」は言葉もシーンとしても完全に対になっていると思うし、大切な流れですよね。

曲調も全く違うし、カジモドは高い場所で孤独だけど下で優しく見守ってくれる4人の女性ガーゴイルたちがいて、

フロローは一見舞台上に人はたくさんいるし、ある意味その立場で周りに人がいることも(コーラスに包まれていることで)象徴されているのかなと思いますが、彼らは追い詰めてくるだけで実際フロローに味方はいない。

 

とまあ少し脱線してしまった。

今回は女性陣がオール開幕メンバーだったんですが、やっぱりバランスが良いんだよなぁ。

とっても優しい。

「彼女のことは考えちゃいけないんでしょ?」とか「何を考えろとか考えるなとかそんな指図おかしい。」とかこのセリフもカジモドに寄り添った優しさのある言い方なんだよね。

この人?たちがずっと彼を見守ってきたんだなって改めてその愛情を感じる。

海宝カジは上に行って歌い出すともう1人の世界で、天を仰いで街を見下ろして、エスメを想って柔らかい空気を抱きしめるように。

歌は壮大なんだけど、でも柱をぎゅっと抱いて歌うその姿と幸せはとても儚く小さな世界にも見える。不思議。

何だろうな、とても柔らかくて優しくて幸せなんだけど、やっぱりどこか孤独をまとっているというか表現の中になくてもなんとなく逆方面のベクトルも存在の中に感じるのはもう私の思い込みなんだろうか。

でもわりと残りのお2人とかだとまさに幸せいっぱいで幸福な気持ちに満たされてその想いがぶわわああぁって溢れ出てるような感覚があるけど、

海宝カジはなんかそこにどこか残るんだよなぁ孤独が。

ここでも「僕は醜いから」というフレーズがあって、フロローに教えられたあの手の動きとともに一瞬顔を歪めて声も忌々しげになるんですよね。

ある意味、この醜さは一部フロローがかけた呪いでもあるんじゃないかと思ってしまう。

でもこの曲の中ではその雰囲気をさほど乱すことなく続いていくのは、エスメへの想いの力の強さがそれを打ち消しているのかなと感じます。

 

純粋な歌唱の話でいうと、

♪あきらめて⤴︎たんだ のふわっとした抜き方と、♪明るく見えるよーーーーの超絶ロングトーンが最高でした。

やっぱり長く伸ばすときの声の太さと安定感ががっつり上がった気がする。

しかも野太いんじゃなくて声の質はあまり変化なく声量だけぐわーっと上がるので心地良い。

 

最後カジモドがはけていくときに女性クワイヤたちがハンドベルを鳴り響かせていることに最終日ようやく気づいたんですけど、あれとっても素敵だね。

天からの祝福の音色のようなキラキラした降り注ぐような音色。 

エスメラルダ

今回フォロワーさんから伺って初めてフロローと会話した後カジモドが上手バルコニーに残っていることを知りました。(遅い)

だってフィーバスが頑張って「エスメラルダのイバショにアンナイシテクレルモノに金貨2枚!」って叫んでるの気になって目がいっちゃうから。。

(あそこなんか異様に言いづらそうですよねww)

そこでフィーバスの様子を見ていて、なんて事するんだ!って激しく憤っているのね。たまに手すりをバシバシ叩く。(どこかのバリケードで既視感)

柱を抱きしめてるのが可愛い。

 

基本的に舞台奥にいながら歌うことが多いのに埋もれずにはっきりと声が届く。

高音まで声を変えずに力強く響かせられる強みが活かされてるなと思います。

♪何も出来ないのかーーー⤴︎とか。

エスメーラルダーー⤴︎とか。

ラストの♪あぁエスメラルダ 鐘を今打ちならせーーーー⤴︎もコーラスの中でもくっきりと浮き上がる。

フロロー、フィーバスと移っていく焦点がクライマックスにかけて確実にカジモドにシフトして、

カジモドの鐘を今打ちならせ!という絶唱にこたえるように鐘の音が鳴り響いて、

ラストセンター舞台前ギリギリまで飛び出して決めたときの存在感が圧倒的で最高に締まる。。

 

という大興奮状態の中、1幕終了。

休憩です。

 

続き↓

 

a-syamu.hatenablog.com

 

海宝カジモドin京都 総括

京都に海宝カジモドが舞い降りたよ!!

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ということで彼は本当にレミゼ大阪公演と名古屋公演のたった2週間の隙間に現れました。

稽古場写真にドーン!と出て各所を騒然とさせたあのときからはや2ヶ月。

個人的には久しぶりに吐き気がするようなキャス変待ちの時間を過ごし…

出たら出たで、「5、5日連続!?化け物か!?」と動揺し…

まあ実際は6日連続。休演日をはさんでさらに3日。

こんなにタフな人っているんだなとあまりの仕事人ぷりに恐れ慄いている今日この頃です。

 

まあそんなことはどうでも良いんだ!

この度、京都に遠征して海宝カジin京都を観てきまして、

あまりのパワーアップぶりに打ち震えたのでこれはしっかり書いておきたい…ということで久しぶりの細かいレポです。

 

前回東京の記録を書いたときは観劇自体からは時間が経っていて抽象的なものが多くなってしまったので。

a-syamu.hatenablog.com

 

と思ったんですけど実際書いたらあまりに細かくなってしまったので、、

じゃあ全体的にどうだったの?どう変わったの?というところの総括をこの記事で。

超細かいのは別でアップするのでご興味があれば読んでみてください!

 

私が観劇したのは9月15日夜、16日夜、17日昼、18日昼の4公演です。

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休演日明けはまた少し変わっているようなレポを見かけたので、あくまでこの期間観て私が感じたものだよーという点をご理解ください。

 

ポイントとしては以下5点。

1.全体的に顔の歪み、声の潰しは緩和

2.万寿夫フロローが優しくなったことによりフロローとの関係が変化

3.石になろうの感情のベクトルが変化

4.ラストの語りに感情が入るようになった

5.全体的に歌唱力が上がった

 

 

少し詳しく。

1.全体的に顔の歪み、声の潰しは緩和

右目はだいたいつぶっていますが、口元の歪みは少なくなりました。

歌っているときは特に。

それでも顔がまったく海宝くんに見えないのは変わらず。

顔の歪みに加え、障がいの度合いというか方向性も変わったような印象を受けます。

それは多少2のフロローの変化にも関係する気はするんですけど、話すときの不自由さはだいぶなくなったかと。

耳があまり聞こえない、唇を読んで会話を理解している様子は変わらず。

 

話し声も歌声も潰さずに声を変えているので、海宝くんの声には聞こえないけど東京の頃の声とも多少違っている。

これは前後でマリウスがびっちりなのを含めの連投仕様というか、喉に負担をかけないことを優先しての作り方かなと思ったり。

見た目も声も体勢も、東京の頃の方が激しかったけど、京都仕様で海宝くん本人がちらついたかと言えばまったくそんなことはなくカジモドとして何の問題なく成立していたのが実際のところかなと感じています。

横浜でしばらくカジモドに専念するとなった場合(仮定)、東京レベルまでの負荷にしてくるか連投に耐えうるであろう京都バージョンで行くのか気になるところです。

2.万寿夫フロローが優しくなったことによりフロローとの関係が変化

京都仕様…!?万寿夫フロローがめちゃくちゃ優しくなっていて驚きました。

優しいというか愛情がしっかり見えるようになった。かな。

以前は冷たく厳しく、海宝カジと万寿夫フロローだと怖いほどの緊張感でしたが、

厳しめながらも愛情を見せるフロローになったのでカジも心を開いていて信頼関係が見えるように。

結果、陽ざしの前のやりとりやトプシー後のビターンの雰囲気もガラッと変わります。

あとはこのフロローだからこんなに閉じこもってどこか違う世界で生きているみたいなんだな…と感じていたカジモドが、割と一般世界と近い位置に存在して見える。

エスメの「彼もあたしたちと人間よ!」って言葉に説得力が出ました。

そして何より序盤からのフロローとの関係性が変化したことで、殺害前後の重みがグッと、、深まった。さらに辛くなった…

3.石になろうの感情のベクトルが変化

東京の頃は、絶望と拒絶。

ガーゴイルたちを拒否して自分自身の内面へ負の感情を向けてどんどん閉じこもっているような感覚でした。

ある意味、絶望と拒絶には変わりないんだけど、、少し抽象的な部分も見えるようになったというか。

ガーゴイルが意味するものを自分にはもういらないと、そこを失くして心を閉ざして石になった方が良いんだって、

怒鳴りつけ、「もう分かっただろう?現実を見ろ!1人にしてくれ!」って傷つける言葉で殴りつけて、自らの中にある一部をずたずたに傷つけて黙らせているように感じた。

そんなベクトルの変化があった分、外に出す(=客席に直接向ける)エネルギー量が増したのかなと思います。

客席にもろに押し寄せる感情と歌声の圧がもう凄まじいです。。

4.ラストの語りに感情が入るようになった

徹底的に淡々とした語りを貫いていた東京。

なんと京都で感情が入るようになりました…!と言っても情感たっぷりとか抑揚があるとかそういうのとは違う。

もう別人なんだけど、でも確かにカジモドを演じきった俳優の言葉で、

どこかカジモドの心に寄り添った静かで穏やかな愛が感じられるそんな感覚でした。

そこに役と俳優との距離はしっかり残しながらも心を感じる今の語り、このパターンも好きだなぁ。。

5.全体的に歌唱力が上がった

あのー東京でもあれだけお上手だったんですけどね。。

え、マリウス演じるとそんな変わる??ってレベルで明らかに歌唱力が上がっておられました。。

特に分かりやすいのはロングトーンや高音で、 タンバリン3重唱やエスメラルダ、奇跡求めてとかの重ねる部分の響き方、声の抜け方が飛び抜けているし、

陽ざしの中へと天国の光のラスト、石になろうの後半とか声の伸びと太さがなんかもう凄かったです。

語彙力を失うくらい凄かったです。

歌唱力もだけど客席に届けるパワーが強くなったというか、ダイレクトに聴き手まで声ががっつり届くレベルが上がったというか。

あとは全体的にビブラートを効果的に効かせてくるようになった。

箇所としても増えてはいるんだけど、決して多用というわけではなくてちゃんと使う場所を計算して作ってるんじゃないかなと思わせる上手さ。

そもそもの話で声をあまり潰さなくなった結果歌いやすいというのもあるかもしれません。

 

 

さて、じゃあ1番変わらなかったところは?と聞かれたら、、

やっぱり「海宝直人とカジモドの徹底した分離」でした。

正直ここが変わってしまってたらどうしようと思っていたよ…

ホッとしました。笑

京都を観終わった今も自信を持って言えます。

カジモドになった瞬間からラストに墨を落とす瞬間まで、そこに海宝直人はまったく存在しない。

だからこそラスト墨を落として振り向いた時の衝撃は凄まじいものがあるし、

あの演出を実に効果的に活かしていると思う。 

カジモドを生き抜いて俳優海宝直人に戻った彼の透明感に満ちた美しさは相変わらず、いやむしろ輝きを増していて、毎度客席で息が止まりそうになっていました。

 

 

カジモド登板は約半年ぶりでしたが、私の観劇はちょうど8ヶ月ぶりくらい。

待ちわびた京都出演でした。

期待値が上がりすぎて勝手にどんどん神格化してしまっているような感じがして、正直不安な部分もあったんですけど、そんな心配はまったく無用でした。

やっぱり私は海宝くんが演じるカジモドと描き出すノートルダムの鐘の世界がとても好き。

彼のこの作品に対する想いの軸がブレない限り、私はどんな海宝カジでも違和感なく受け入れられるんだろうなと思った。

盲目かもしれないけど、この作品、この役はやっぱり特別。大好きです。

きっと横浜でもまた。